かと思ふと、ついとまた石垣の穴にかくれた。午頃《ひるころ》の巷《ちまた》は沙漠のやうに光が澱んで居た。音のない光を限り無く深く湛《たゝ》へて居た。
その中に、如何かして、空の一方に雲の峯がむくり/\と現はれて、雲母の層のやうにキラ/\光って居るのを見ると、人々はあれが雨になればよいと思った。午後になって、夕日がパッとその雲の層に燃え付いて、青い森や丘に反射してるのを見ると、明日は雨になるかも知れないと予期された。明るく暮れて行く静かな空に反響する子供達の歌声が、慵《ものう》く夢のやうに聞えた。
アカナー ヤーヤ
ヤキタン ドー
ハークガ ヤンムチ
コーティ
タックワー シー
夕焼があると、何時でも子供達が意味の解らぬなりに面白がって歌ふ謡《うた》である。だが日が暮れ切ってしまふと、その雲の層は何処へやら消えて行って、空が地に近づいて来たやうに、銀砂子のやうな星が大きく光って居るのが見えた。
さう云ふ昼と夜とが続いて、百歳も草木の萎えたやうに、げんなり気を腐らせて居た。職務上の事でも神経を振ひ立たせ(る)程の事はなかった。何となく、生きて居る事が慵くてやり切れないと云ふ
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