り付けたりした。そんな事が度重なると、彼等は百歳の家の存在をさへ呪はしくなった。部落の人達はあまり彼の家に寄り付かなくなった。
 さう云ふ周囲の気分がだん/\百歳にも感ぜられて来た。さうなると彼は家に居ても始終焦々して居た。また途中で出逢った部落の人の眼の中に冷たさを感じると、自分の心の中に敵意の萠して来るのを覚えた。何となく除者《のけもの》にされた人の憤懣《いきどほり》が、むら/\と起って来るのを、彼は如何ともする事が出来なかった。
 それに、彼は此の部落の出身であるが為めに同僚に馬鹿にされて居ると感ずる事が度々あった。
「△△屋敷の人間」
 さう云ふ言葉が屡々、同僚の口から洩れるのを聞くと、彼は顔の熱《ほて》るのを感じた。百歳には此の部落に生れて、この部落に住んで居る事が厭はしい事になった。
 そこで、彼は家族に向って、引越の相談をしたが、家族はそれに応じなかった。長い間住み慣れた此の部落を離れると云ふことは、家族にとっては此の上もない苦痛であった。それは感情的な意味ばかりでなしに、生活の上から見ても、殊に模合や何か経済上の関係から見ても不利益であったので。
 さうなると、百歳は自分が部落に対して感じ出した敵意を如何にも処置することが出来なかった。彼は寂しかった。と云って、彼は同僚の中には、ほんとうの友情を見出すことは出来なかった。彼の同僚は多くは鹿児島県人や佐賀県人や宮崎県人で、彼とは感情の上でも、これまでの生活環境でも大変な相違があった。さう云ふ人達とは一緒に、泡盛を飲んで騒ぐ事は出来ても、しみ/″\と話し合ふ事は出来なかった。彼は署内で話をし乍らも、度々、同僚に対して、
「彼等は異国人だ。」
 と、さう心の中で呟く事があった。彼等もまた、彼を異邦人視して居るらしいのが感じられて来た。彼は孤独を感ぜずには居られなかった。
 それでも、彼の同僚が、彼の家に来て、泡盛を飲んで騒ぎ廻る事に変りはなかった。
 その歳の夏は可成り暑かった。長い間、旱魃が続いた。毎日晴れ切った南国の眩しい日光が空一杯に溢れて居た。土や草のいきれた香が乾き切った空気の中に蒸せ返った。街の赤い屋根の反射が眼にも肌にも強く当った。――那覇の街の屋根瓦の色は赤い。家々の周囲に高く築かれた石垣の上に生えた草は萎えてカラ/\に乾いて居た。その石垣の中から蜥蜴《とかげ》の銀光の肌が駛《はし》り出したかと思ふと、ついとまた石垣の穴にかくれた。午頃《ひるころ》の巷《ちまた》は沙漠のやうに光が澱んで居た。音のない光を限り無く深く湛《たゝ》へて居た。
 その中に、如何かして、空の一方に雲の峯がむくり/\と現はれて、雲母の層のやうにキラ/\光って居るのを見ると、人々はあれが雨になればよいと思った。午後になって、夕日がパッとその雲の層に燃え付いて、青い森や丘に反射してるのを見ると、明日は雨になるかも知れないと予期された。明るく暮れて行く静かな空に反響する子供達の歌声が、慵《ものう》く夢のやうに聞えた。
 アカナー ヤーヤ
 ヤキタン ドー
 ハークガ ヤンムチ
 コーティ
 タックワー シー
 夕焼があると、何時でも子供達が意味の解らぬなりに面白がって歌ふ謡《うた》である。だが日が暮れ切ってしまふと、その雲の層は何処へやら消えて行って、空が地に近づいて来たやうに、銀砂子のやうな星が大きく光って居るのが見えた。

 さう云ふ昼と夜とが続いて、百歳も草木の萎えたやうに、げんなり気を腐らせて居た。職務上の事でも神経を振ひ立たせ(る)程の事はなかった。何となく、生きて居る事が慵くてやり切れないと云ふ感じを感ずるともなく、感じて居た。
 こんな気持に倦《う》み切って居た或晩、彼は鹿児島生れの同僚の一人に誘はれて、海岸へ散歩に出た。
 珊瑚礁から成って居る此の島の海岸の夜色は其処に長く住んで居る者にも美しい感じを与へた。巌が彼方此方に削り立って居るが、波に噛まれた深い凹みは真暗に陰って居た。渚に寄せて来る波がしらが、ドッと砕ける様が蒼い月光の下に仄白く見えた。何処か丘のあたりや、磯辺で歌って居る遊女の哀婉の調を帯びた恋歌の声が水のやうに、流れて来た。その声が嬌めかしく彼の胸を唆った。海の面から吹いて来る涼しい風は彼の肌にまつはりついた。彼の坐って居る前を、時々、蒼白い月光の中に、軽い相板《トンピヤン》らしい着物を纏った遊女の顔が、ぼんやりと白く泳いで行った。
 その夜、散歩の帰りがけに百歳はその友達に誘はれて、始めて「辻」と云ふ此の市《まち》の廓へ行った。
 高い石垣に囲まれた二階家がずっと連って居る。その中から蛇皮線の音、鼓の響、若い女の甲高い声が洩れて来た。とある家の冠木門を潜ると、彼の友達はトントンと戸を叩いて合図をした。するとやがて、
「誰方《たあ》やみせえが[#「やみせえが
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