である。そこで自分は又何も困ることはない。文部省の方は正當の手續をとつてやつたのだし、受ける方の夏目はいやだといふのだから、文部省の方はやつたつもりでゐるがいいし、夏目の方は貰はないつもりでゐるがいい。それより他仕方があるまい。夏目は強ひると氣にしていけないから強ひてはいけぬ。といつたら大塚君は歸つて行つた。
この問題なども夏目君自身恐らく後になつて考へたら馬鹿げたことをしたと思ひはせぬかとも考へられるが、その場ではさうもゆかなかつたらう。
*
その内でこれはまだあまり人に知られてゐないことかとも思ふが、夏目君と同期、即ち明治廿六年の卒業の中にはいろ/\面白い人がゐた。松本文三郎、松本亦太郎さんなどの樣に有名にならなかつたが米山保三郎といつて、哲學を出て後に數學をやつた人がある。丁度田邊元さんのやうな學問をしたのだが、自分でまた世界第一といふ意氣組を持つてゐて頗る變つた男であつた。この變り者の米山が夏目君のことを『あの男は普段默つてゐるが、いざといふ時相談すれば必ず事を處理する力を持つてゐる』といつて感心してゐた。自分はこの米山と親しかつたが松本亦太郎君も大變仲よしで
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