現象も心的現象も即ちあらゆる現象は皆事實なりと取るのであるが、知るべき限りの宇宙はあらゆる現象の總和に外ならぬ筈であるから、即ち又事實の總和である。則ち茲に宇宙は全一最大の事實と見做されることになる。而してあらゆる事實は其構素として從屬關係を取り、各※[#二の字点、1−2−22]の事實は又從屬關係或は同位關係により連絡制約せられた複雜無限の連鎖に發展する。之を事實網と名づけるであらう。事實網は現象の連絡制約を意味するもので、即ち事實の相對性を規定することを思はなければならない。世間に絶對と稱せられるものが少くないが、もしそれが事實網の何所かに見出されるなら、絶對と見るは錯覺であると想ふべきである。事實網は其儘現象網であり、又知識網に變形し得べきことは言ふまでもない。
三
事實網は其儘宇宙の實體を成すものであるから、至るところ空虚たるを許さない。其所に必ず内容がある。其内容の機構が明瞭に觀察出來る場合もあり、模糊として捕捉し難い場合もある。一般に物的現象は前者に屬し、心的現象は後者に屬するやうに想はれてゐるが、必しも左樣ではない。凡そ物の見方に巨視的と微視的と云ふことがある。前者は五官により物の表面を見る立場を云ひ、後者は裏面に徹し精密に吟味する立場を云ふのであるが、物的現象と雖も微視的に考察することになると、甚だ困難を感ぜしめ、終には分らないところに達するのである。さうした例を擧げて見ると、餘りに有名な話であるが、ニュートンは物體が地上に落ちる現象を掘下げて、物質間に互に相引合ふ力があることを證明し、之を引力と名づけた。同時に其引力により二ツの質點が操られて動くときは、各※[#二の字点、1−2−22]他點を焦點とする圓錐曲線を描くことが又證明された。ところが更に一質點を加へて見ると、三ツの質點が如何なる運動を爲すかと云ふことは、流石のニュートンも齒が立たない難問題と化したのである。偖この引力の正體は今以て判然せず、學者の研究により彌※[#二の字点、1−2−22]複雜化するに至り、又この難問題も依然として未解決の儘殘されてゐる。又一例を取ると、あらゆる物體は分子より、分子は原子より構成され、其間の作用は因果的に規定されることは、昔から知られてゐるのであるが、最近學者の研究によれば、分子原子の奧深いところを覗見ると、其所には萬能と考へられた因果律も應用出來ない場合があることが分つて來た。これは吾人の通念を根柢から覆す重大事件である。以上短く説明し易い例を物理現象より選んだのであるが、類似の例證は他の自然現象に於ても目撃することが出來る。そこで普通の意味を考ふれば、物的現象は巨視的には林檎の落ちるに氣が附く如く、馬鹿も知ることが出來るが、微視的には眼にも見えぬ小さいくせに、因果法何物ぞと空嘯く怪物が目の前に群集するを認めざるを得ざる如く、釋迦も手古摺る難物である。物的現象にして既に此の如しとすれば、五官の力を以て捕捉することの出來ない心的現象は、實際手の著け樣もない次第であらねばならぬ。然るに幸に自己は一應の心的經驗を有するが故に、之に準じて他人の場合を類推する便宜もあれば、巨視的に理解することの出來る場合は少くない。しかしながら微視的には往々五里霧中に彷徨する如き感を抱かしめられることあるは止むを得ないのである。一例を申せば、責任と云ふことは、常識の結晶ともいふべき法律の認めるところで、誰でも有ると信ずるが、これは巨視的で立つるところで、更に微視觀を以て何から起つたかと尋ねると、これを説明するため良心とか自由意志とか一層分りにくいものが持出され、進んで天とか神とか到底捕捉し難いものに飛着く藝當を強られ、遂に誤認や信仰の八幡知らずに陷入するのである。
茲に至り吾人の知るを得たるは、事實網は巨視的には整然たる體系を現し、疑ふべからざる存在であるが、微視的には未だ人知を以て闡明すべからざる地盤上に立つものである。之を不安と取り、救濟を企てる積りで、單なる主觀的考察により、手取早い説を爲すものも多いのであるが、唯自他を陶醉するに終るのみである。自然陶醉の效能は認められるが、客觀的事實の説明としては成立覺束ない。故に事實網の考察は飽くまで巨視的に擴張し、微視的に徹底し、古今を通し東西を盡して繼續すべきものである。
四
事實網の考察に當り、その對象として登場する最小事實は、萬物を構成する各※[#二の字点、1−2−22]の原子であり、最大事實は萬物を包含する宇宙である。この兩極端の事物は知識の極まるところにして、量的増減を拒否するのみか、古來種々の意味に於て絶對性を有するものと考へられて來た。然るに近頃學者の到達した見解によれば、原子は昔に考へた如き融通の利かぬ一徹に頑強なものでなく、各※[#二の字点、1−
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