歴史に就いては追々安心出來るやうになるであらうが、修史事業の大部分は過去に關することであるので、直接科學を應用することが出來ない。しかしながら人類學、考古學、社會學其他如何なる學問を通じて、間接に科學の應援を受け、誤謬を訂正する機會もあらうが、尚殘る誤謬を發見するには又々歴史の搜索を繰返すことになるであらう。即ち歴史的に證據を發見する方法を考へねばならぬ。此方法を鑑定法と稱するであらう。鑑定法は未だ搖籃期にあるもので一學科を成立してゐない。そこで理想として過去を再現する工夫が成功すれば、其儘完全な鑑定法となるのであるが、將來學者が考附いたとしたら、恐らく機械裝置を以て、現在より過去を逆視するものであらうとも想像される。則ち或人のことに就いて疑問が起つたとすると、其人の墓に祭られてゐる處に往つて其機械を向けると、暫くして靈魂が現はれ、後戻して燒場に入り、生れ變つて家に歸り、段々若返りして遂に母の體内に消行く段取となるであらう。其間に何處かで見たいと思ふ正體を捉へるのである。勿論靈魂が替玉でない證據も必要である。此話は光線の學理を辨へぬものの囈語であるなら、總ての降神術も囈語であらう。しかし靈魂が實在するなら、應援を請はねば嘘である。かゝる話を空想と排しても、その空想或は之に代るものを實現し得ない限り、過去の事實に客觀的妥當性を與へる一般鑑定法が成立しないと諦めなければならぬ。
 第二の困難は事實の記述に關するものであるが、必要にして且つ十分なる記述による事實を確保することが困難である。在來記述の方式は編年、記事本末、傳記、年表等の形に現はれてゐるが、孰れの方式に在つても、編纂の目的により、材料の選擇、取捨を行はざるべからざるのみならず、時には事實の眞相を隱蔽しなければならぬことが生ずる虞れがある。元より眞相の隱蔽は自己保存の目的を以て營まれるもので、生物界普通の現象であれば、歴史に現はれるも何の不思議はない。しかしながら歴史の概念に忠實ならんと欲すれば、隱蔽を剔抉し、眞相を闡明する記述の方法をも考へなければならぬ。其方法は人爲的潤色を避けるため、機械的描寫に依るものでなければならぬ。此の如き方法を登録法と名づけるであらう。今のところの登録法は胎生期に在るものと云ふべく、其概念を得ることも容易と想へないが、一例を擧げると發聲映畫は既に特別の場合に於て、無自覺ながら此方法
前へ 次へ
全11ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
狩野 亨吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング