から單に之を指摘するに止めて置いた。想ふに本當に正確なる救世策はまだ中々出來る迄に世の中は進んで居ない。これはずつと前に引合に出した物理學の見方に立脚した救世案が出る時にならなければ望むことは出來ない。しかし何時でも默つては居れないから、臨機の救世策とか改造策とか出來るのは止むことを得ない。聖人連中は皆此考を以て起つに至つたものである。安藤昌益も亦其一人である。而して起つ人も來る人も安心を説き、修身を説き、救靈を説き、その説の確かなる證據は地獄の入口で分らせると云ふのであるが、獨り安藤は微塵も此教を説かない。唯だ足食救生を喚ぶのみである。歸農を勸むるのみである。直耕を尚ぶのみである。勿論證據は現世に在ると云ふのである。茲に於て與ふるものと求むるものとの別なく、平心坦懷、己れを省み人を察し、皆この足食を以て第一義と成さねばならないことに想達することあらば、安藤の尚耕説はたしかに爭ふべからざる威力と、辭むべからざる恩意とを以て、誠意誠心に考按せられたるものであることを認めざるを得ない。苟くも生命あるもの宜しく猛省すべきであらう。



底本:「狩野亨吉遺文集」岩波書店
   1958(昭和
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