の知識も可なり廣く持つてゐたのである。顯正之卷六十餘册は彼の學殖を現はすものであつて有らゆる方面に亙り、量に於ては不足を云へない。しかし遺憾ながら取るべき所が甚だ少ない。或は歴史上の捏造説を看破したり、動物と其食物との形體の類似を推考したりして、頗る人を驚かすに足る奇論も吐くが、至る處に五行論を振※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]すのは甚だ惜まざるを得ない。しかし是は科學的知識の缺乏に歸すべきもので、當時に在つては致方のない事であつたらう。そこで私は此以上奇説や罵倒を聽くことを止め、彼の尤も重きを置いた救世觀を説明し終つたところで、一寸その概評を試みる。
 先づその救世觀を一瞥すれば、法世とは個人的に人慾を助長する制度文物の世の中。自然世とは衆人的に人慾を滿足せしむる制度文物の世の中。共産は個人慾病の下劑。科學は個人慾病衆人慾病共通の良劑。而して食物は必要缺くべからざるものなるが故に衆人農業を基ゐとして食物の充實に勉むること、とかうなるのである。其歸農充食に重きを置くに鑑み、彼の救世は救生であると云へよう。
 凡そ絶對性を帶びたる獨尊不易などいふ考へ方の大概間違つてゐることは、
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