#「我道には爭ひなし」に白丸傍点]、吾は兵を語らず[#「吾は兵を語らず」に白丸傍点]、吾は戰はず[#「吾は戰はず」に白丸傍点]、と云ふのがある。後に説明するが此語此考は實に彼の思索の中樞を成してゐる所から派生し來るので、決して卑怯な心から出たのではない。又此考が形を變じて前陳べた所の百年の後を期して書殘すのである[#「百年の後を期して書殘すのである」に白丸傍点]と云ふ語に成つたことは尤も味ふべき所である。私は自然眞營道の中に數ヶ所で此語に出遇つた。一面には略本三册を公刊しながら、他方には全本百卷は容易に公にしないと云つたことで、安藤がかうした考になつた理由は推測するに難からずである。先以て彼は公にすべきものと公にすべからざるものとの區別を知つて居たと云ふが一つの理由である。是が又平和主義と關聯してゐるのは明白である。もしかの猛烈なる完本をそのまま出板したとすれば、而して世人に讀まれ、多少とも影響するところがあつたとすれば、其結果は知るべきで、直に彼と當時の爲政者との爭ひとなることは、何も之を實行に訴へなくとも、考へて見ただけでも明白な事柄である。然るに安藤は徹頭徹尾爭ひを嫌つてゐる。爭
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