と云ふことが思付くであらう。ところが安藤昌益はチヤンと衝突を避けようとする考へで、始から問題の起る樣な氣遣のない態度を取つたと思はれる。それは次節に入つて説明する。
 安藤が事物の相對性を互性活眞と看破する事により、前人未知の祕を發き無上の道理を獲得したるものと思つたのである。孔子も釋迦も此道理を辨へずして政教を布いたと取り、聽すべからざる暴擧にして直に其無效を主張する。之に反し自分の説くところは自然の妙道より發するもので些の迷妄を交へず、純潔正眞にして全く信頼するに足るものであるが故に、必ず將來世間に行はるること疑ひなしと宣言する。彼はこの主張宣言を自然眞營道の序跋に簡單明瞭に摘載し了つて、遂に自ら眞人であり救世主であると喚んでゐる。

      三 安藤昌益の人物

 安藤昌益は狂人でなかつたか。彼は世人の貴しとする所を貴むことを知らず、増長して自ら眞人救世主と稱するに至つては眞に正氣の沙汰とは取れない。就中尤も人を驚すに足るものは、彼が家康當時神君と崇められた家康に向つた時である。其心術の陋を見るや彼は忽ち惡罵の權化に變じ、峻嚴酷烈其度を超え、叱責罵辱其頂に達し、讀む者をして足
前へ 次へ
全53ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
狩野 亨吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング