輕率なる行動を避けたるがため、廣く世人の耳目に觸るることなく、其結果が遂にこの破格的人物の存在を忘るることに至らしめたのである。
安藤昌益の名が文獻に見はれたのは、寶暦四年刊行の新増書籍目録卷二に、其著書である孔子一世辨記二册と自然眞營道三册とが掲載せられてゐるのが最初であり、又最後であつたらうと思はれる。此目録には安藤良中としてあるが別人ではない。私は此二書を未だ見たことがないので、漠然とその内容を想像することは出來るが、はつきりしたことは知ることが出來ない。既に出板になつたものとすれば誰か讀んだ人もあつたらうに、其後徳川時代を過ぎ明治に入る迄も、安藤の名が人の口に上らない所を以て見ると、彼の著述は當時何等の反響を起さずして、いつしか忘れられてしまつたものと思はれる。もし其樣な運命に陷つたものとすれば、あの時世大方讀む人が文章の不味いのと分り難いとに呆れて、思想の卓越したる所を理解する迄に注意して見なかつた爲と取らざるを得ない。
明治三十二年の頃であつた。私は自然眞營道と題する原稿本を手に入れた。此本は元來百卷九十二册あるべきところ、生死之卷といふ二册が缺けて居た。九十二册の内初
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