安藤昌益
狩野亨吉
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)失《アヤマ》る論と題し、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)彌※[#二の字点、1−2−22]
−−
一 安藤昌益と其著書自然眞營道
今から二百年前、安藤昌益なる人があつて、萬物悉く相對的に成立する事實を根本の理由とし、苟くも絶對性を帶びたる獨尊不易の教法及び政法は皆之を否定し、依て此等の法に由る現在の世の中即ち法世[#「法世」に白丸傍点]を、自然の道に由る世の中即ち自然世[#「自然世」に白丸傍点]に向はしむるため、其中間道程として民族的農本組織を建設し、此組織を萬國に普及せしむることに由つて、全人類社會の改造を達成せしめようとしたのである。當時の學者が三教以外に何事をも考へ得なかつた間に在つて、かかる斬新なる思索を徹底せしめ、大膽なる抱負を實現しようとしたことは、啻に視聽を聳動する種類のことであるのみならず、實際重大なる問題を惹起する性質のものであるから、極めて謹愼なる態度を取り、輕率なる行動を避けたるがため、廣く世人の耳目に觸るることなく、其結果が遂にこの破格的人物の存在を忘るることに至らしめたのである。
安藤昌益の名が文獻に見はれたのは、寶暦四年刊行の新増書籍目録卷二に、其著書である孔子一世辨記二册と自然眞營道三册とが掲載せられてゐるのが最初であり、又最後であつたらうと思はれる。此目録には安藤良中としてあるが別人ではない。私は此二書を未だ見たことがないので、漠然とその内容を想像することは出來るが、はつきりしたことは知ることが出來ない。既に出板になつたものとすれば誰か讀んだ人もあつたらうに、其後徳川時代を過ぎ明治に入る迄も、安藤の名が人の口に上らない所を以て見ると、彼の著述は當時何等の反響を起さずして、いつしか忘れられてしまつたものと思はれる。もし其樣な運命に陷つたものとすれば、あの時世大方讀む人が文章の不味いのと分り難いとに呆れて、思想の卓越したる所を理解する迄に注意して見なかつた爲と取らざるを得ない。
明治三十二年の頃であつた。私は自然眞營道と題する原稿本を手に入れた。此本は元來百卷九十二册あるべきところ、生死之卷といふ二册が缺けて居た。九十二册の内初
次へ
全27ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
狩野 亨吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング