と応じて、スキーが雪をする音が聞えてくる。休んで木を見あげると、木鼠がガサガサと木を登って遊んでいた。二ノ俣のドーへきて、顔を洗っているうちに案内がやってきた。横尾の屏風岩を見るころ雨が降ってきた。雪がザラメのためにスキーに少しも付着しない。だんだん広い原に出てきた。今は広い雪の原の上を、遥か彼方に目標をえらんで、一歩に一間ぐらいずつ滑走して行く。右手には凄いように綺麗な穂高を眺め、行手に霞沢、六百、徳本の山々が、上の方は雪と見えて白く霞んでいる。柳はもう赤い芽を吹いていた。宮川の池のかなり手前の木陰で昼食をつかった。雨などは眼中に無くなって、焚火にあたりながらゆっくり飯を食った。宮川の池を訪問して牛番小屋のところへ出ると、スキーの跡があった。かねて知合いのウインクレル氏だとすぐ思って、会えるかも知れないと道を急いだ。雪は非常な滅じ方で、ここだけならスキーは無用の長物だと思った。スキーをする雪ではない。※[#「木+累」、第3水準1−86−7]の雪だ。温泉は雨の中に固く戸を閉ざしていた。傍の小屋では犬が吠える。入って見ると常さんがいた。「これは珍しい人がきた」と心よく迎えてくれた。ウ氏は今朝平湯へ行ったそうだ。乗鞍へ行ったのだ。時刻はまだ午後四時前だ。炉を囲んで盛んに話がはずんだ。犬がおびえている。
三月二十五日。今日はここで遊ぶことにした。湯の元へ行って岩の中の温泉に浴すると、ぬるくて出ることができない。晴れ渡った朝の空気を吸いながら、河の流れを聞きながら、岩の浴槽で一時間もつかっていた。十時頃から焼岳へ散歩に行った。焼の方から見た霞沢や六百山はなかなか綺麗だ。殊に木の間から見た大正池と雪の霞沢の谷は美しい。昼めしにビスケットを噛っていると雨になった。焼のラバーの跡には、雪が層をなして見える。小屋に帰って常さんと小十の猟の話を聞いていると、ちっともあきない。夜に入って雨は吹雪に変った。戸を打つ吹雪の音がサラサラと聞える。炉には大きな木がもえさかって、話はそれからそれへと絶えようともしなかった。
三月二十六日。吹雪は大分強い。十分用意をして午前七時半に出発した。いい雪だ。本当に粒の細かい水気のない雪だ。理想的のブルツファシュネーだと感じながら、吹雪の中を徳本に向かった。すっかり用意をして吹雪の中を歩くのは、気持ちのいいものでかつ痛快なものだ。徳本の下で焚火をした。時々パッと日があたると、木の影が雪の上にさす。何という美しさであろう。スキーは例の通り谷を一直線に登って行く。夏の道は左にある。頂上近くでいよいよ風が烈しくなる。温度は大したものでなく、摂氏の零下四度を示していた。まつ毛は凍って白い。徳本の頂上の道よりちょっと南に出た。東側には雪が二間もかぶっていた。下りは非常に滑りにくかった。古い雪の上に新しい雪が乗っているので、みななだれてしまう。途中吹雪の中で焚火をしたが少しも、暖かくなかった。手袋をちょっとぬぐともう凍ってかたくなる。岩魚留《いわなどめ》に近くなったら大変暖かくなった。岩魚留で昼をつかってすっかり休んだ。もうスキーは用いられない。午後三時に岩魚留を出発して清水屋に着いた。
[#地から1字上げ](大正九年四月)
底本:「山と雪の日記」中公文庫、中央公論社
1977(昭和52)年4月10日初版
1992(平成4)年12月15日6版
底本の親本:「山と雪の日記」梓書房
1930(昭和5)年3月
入力:林 幸雄
校正:田口彩子
2001年12月8日公開
2005年11月24日修正
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