おおわれた山となって、一番はじに、ぷっくり持ち上った焼岳に終る。焼岳はわが左眼下に、遥かにたたえた濃藍の大正池の岸から、つまみあげられたように、ぷっくり持ち上って、麓から中腹にかけては、美わしいききょう色をして見える。頂上から中腹にかけては、灰色のクリームを頭から注ぎかけたようで、中腹では灰色とききょう色とがとけあっている。この自然の美しい香炉からは、神をたたえる白い煙が、高い蒼空に縷々《るる》と昇っていた。そしてその頂上はここよりかなり下にある。ここから見ると可憐な山だ。さて目を転ずる。前穂高、明神から右手に目をやると、蝶ガ岳、常念への峰が穂高の岩とくいちがう。そしてこの間から上高地の高原が白く現われてくる。梓川が糸のもつれのごとく、その中を大正池まで注ぎこんでいる。さて再び目を背後に転ずる。森に包まれたこの方向の谷は、遠くに谷水の音を響かせて、遥か下まで下りきると、それをさえぎるように、低いながら、また山脈の襞が垂直に走って、その山の低いところを越えて畑らしいものが見えるのは、白骨から島々への道らしい。その上に遥かに高く、遥かに高く、薄紫の鋭い山々が雲の上に見える。駒、御嶽、八ガ岳の諸峰か。雲は肩の辺に渦を巻いて、動こうともしない。右手に近く乗鞍の雄大な尾根が、かば色にのさばっていた。相変らず、ぶよのなくねがのどかにする。山崎は例のごとく昼寝をしている。坊城はスケッチで、この美わしい景色を汚そうと骨を折っている。園地と小池と板倉は、その間に、デセールをなるたけたくさん食って、水をしこたま飲もうと心がけていた。

      霞沢岳の途中

 腰のずれそうな傾斜のはい松の中に腰を下ろした。まっすぐな谷が、梓川が糸のように見える上高地の平原まで続く。すぐ右手に頭を圧して、半天をさえぎって、花崗岩の大岩塊が、白い屏風を押し立てたように立っている。下の平原を隔てて、向う側には、穂高から焼への尾根の一部が見えて、その上に笠ガ岳が胸まで出している。わが頭をすれすれに、岩燕がヒューとばかり鋭い翼の音をたてて、一羽は一羽の後を追いながら、大円を画いてかけて行く。その燕がたちまち小さく、小さくなって花崗岩の中腹ぐらいに行ったと思うと、そこに胡麻をまいたように群がった岩燕の群の中に消える。大きな白い岩の胸のあたりに、点々として速く動く燕の群からは、チクチクという鋭い叫びが花崗岩に反響して、はい松の静けさの中にひびいてくる。岩そのものから出る声のように、燕が岩から生れるのではないかと思えるように、二つのものが親しそうに見えた。

      小屋

 宿屋の前では、広い河原を流れる水が、少し下流に行くと十間幅の激流となる。凄ましい音をたてて水はうねったり跳ねたり、できるだけの力と速さで、われさきにと、流れて行こうとする。底にある石という石はみんなころがす勢いではねて行く。河辺に立つと、氷のような涼しさが、ゴーゴーという叫び声の上で、一面に漂って、岸の木々の葉には、常に風が吹いている。ここに、丸太をつないだ橋がかかって、渡る一歩ごとにふわりふわりとゆれる。下では白い泡と緑の水とが、噛みあってわめいて行く。中央に立って下流を見ると、木のない焼岳が、静かに煙を上げている。この橋を渡ると、青い草原となって、白樺が五、六本と落葉松が生えて、ところどころに、蕗の花が夢の国に行ったように、黄色く浮んでいる。緑にこされたためか、流れの音は、ここに入ると、急に静かに響いてくるようになる。この原は十間でまた小川に達する。透きとおるような水が音もなく流れて、このちょっと下で激流に流れこむのだ。この二つの川の間が、われらの住家である。小川の辺の小高いところに、自然木で組み立てて、板をはった十畳敷の小屋ができた。屋根には蕈《きのこ》の生えた太い木が五、六本のっている。小屋の入口には、小川から運んだ石でかまどをつくり、その傍には白樺と赤樺で組んだ三本足の鍋かけができた。ここに太い落葉松が、天にとどいている。その下に、緑の草の上にテーブルと椅子が厚さ二寸もある板でつくられた。小屋の小川に面した方とその反対側に、障子を横にしてふさぐ、大窓があけられた。三尺の入口を入ると、右手の窓からは、河と大岩とが見え、左手の窓からは、白樺と緑の草とが見える。正面の棚には、さもえらそうに、本がつまって右手の棚には、罐詰が勇ましく行列をしている。床の上には、うすべりをしき、毛布をしいて、火鉢が一つ、醤油、砂糖、米の入物が薬罐と一緒に置いてある。毛布の上に寝ると、小屋の窓の下は小川で、大きな岩が、がんばった両側を、水が静かに流れて行く。窓のところに川の上に枝をかざした白い幹の木が、三本立っている。川の向う側は熊笹で、やがて森になる。白樺がちらほら見える。この森はもう霞沢岳の麓である。だから、その
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