にも見つからない。したがって年をとるのも止めだ。昨日と同じ雪の世界は真白である。年をとりたい人や竹の節のようにお正月にもってきてくぎりをつけたい人は勝手に節をつけるがいい。こっちは勝手なところでくぎりをつけて、年は生れてから死ぬまでを一つと算えることにする。一体日本人は早くもったいぶったり容態ぶったりしたがる。したがって三十越すともう並のかけ足さえできないで、家鴨のようなようすで電車を追いかけている。みんながしないから、俺もしないでいいと思っているらしい。勝手に自分で年をとって、俺にはそんな暇はないとかもう大人だからとかいっている。運動をしないから自然をほんとうに知らない。したがって屁理窟と机上の空論がむやみと多くなる。他人の思想をそのまま右から左に受けついで蓄音器となる人や、他人の考えを筆にしてタイプライターとなる人が増す。運動をしない人間は運動に口を出す資格はない。いな青年の気分を解する資格がない。自然に接し得ない人間は片輪である。自分の頭の空虚に気がつかず、外見大人になって内容のない議論をされてはやかましくていけない。一人で雪の中に立てば自分の馬鹿がわかる。浮草のような根のない理窟が馬鹿げてくる。もっと子供になったほうがいい。自分の頭の空虚を知った子供にはさきがあるが、うぬぼれで錆がついた大人の前途は世の障害となるばかりだ。見ろ、雪の世界に立つと雪があるばかりだ。
三人でいつもの山に行った。雪が降っている。今日は戸田が大きな毛の帽子をかぶったから西洋の古武士の面影がある。「ジャン将軍よ」と山の下から呼ぶと、雪の山の上に足をふんばって空に浮いた勇ましい将軍の姿が下ってくる。たちまち「ほーい」と声を上げ給いつつ雪煙が立つ。板倉と坊城とは急な崖をどうかして成功しようと滑ってくるが、えぐれたようなところでその上倒れた穴だらけだから猛烈に雪の中にたたきこまれる。坊城は相変らずがんばって何度でもやる。板倉もやったがついに二人とも兜をぬいだ。昼からは炬燵にあたりながら遊んだ。明日は帰ることにした。
一月二日。板谷のそばまで外人と一緒に滑ってきた。外人は鉢盛に行くのだ。別れ道で「それでは失礼」というとウ氏が「また会いましょう」と答えた。名残り惜しい雪を眺めながら汽車が出た。戸田は宇都宮で降りた。後の三人は上野に七時に着いた。泥濘にごった返した土を見た時、帰らなければよかったと思った。銀座を歩くと貧民窟のような汚なさを感じた。飾ってある人形の衣裳を見ても毒々しくてちっとも美の感じがしない。万事が毒々しく汚れて見えた。人の顔はいじけて見えた。大声で笑いたくなった。僕らのはいてる靴は破れ、服もしわくちゃだ。人が変な顔をする。乞食になったらこんな気分になれると思った。乞食もなかなかいいものだ。うぬぼれには乞食にもなれない。
以上は腹の中の虫の言い草だ。随分ひどい悪口をいったから、筆記している僕さえ腹がたった。さいわいと僕のことはあまりいわなかった。腹をかしたので遠慮したのであろう。したがって悪口をいわれた人はいわれ損だ。輔仁会雑誌にのせたのは僕が悪い。大きな心で許してやれ。
[#地から1字上げ](大正七年三月)
底本:「山と雪の日記」中公文庫、中央公論社
1977(昭和52)年4月10日初版
1992(平成4)年12月15日6版
底本の親本:「山と雪の日記」梓書房
1930(昭和5)年3月
入力:林 幸雄
校正:ちはる
2001年12月25日公開
2005年11月24日修正
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