かもわからずに、失わしめようとしているこの山での不幸なゲファーレンというものについて、結局は自分たち自らさえも山で死ぬかも知れぬということについて、新しい信仰をうち建てるようにと言いなやんでいたのだった。
ひとりがそれに対してすぐに答えて言った。――
「それは山へなんか登ろうって奴の当然出っくわす運命さ。」
「うん、そうか、それじぁ山へ登ろうって奴はみんなその運命にいつかは出っくわすんだね。」
「そうじぁないよ。みんなとはかぎりゃしないさ。運のいい奴はそれにであわなくってすんじまうよ。それから山へ登る奴だって、そんな運命なんかに全然|逢着《あわ》ないように登ってる奴もあるもの。」
「じぁその逢着《あう》ような奴っていうのはどんな奴さ。」
「まあ、言ってみりゃあ、結局ワンデーみたいな奴さ。俺はワンデーの兄貴が、あいつがやられたときに富山へゆくとき、途中を一緒に行ったが、そのとき言ってたよ。うちの弟は私によく言ってましたよ[#「うちの弟は私によく言ってましたよ」に傍点]、俺はきっといつか山でやられるって[#「俺はきっといつか山でやられるって」に傍点]、俺はそいつを聞いて感激したね。もっともその時はいくらか昂奮もしていたがね。そしてその時すぐにマンメリイのあの言葉をおもいだしたよ、ほら、なんていったっけなあ、よく覚えてはいないけれど、It is true the great ridges sometimes demand their sacrifice, but the mountaineer would hardly forgo his worship though he knew himself to be the destined victim. とか言ったやつさ。そうして一晩中寝ないでHと話しつづけちゃったら、そのあしたへたばったよ。…………だからさ、ワンデーやマンメリイみたいなやつは、まあたとえてみればさ、そういうような運命に出っくわすのさ。実際ふたりとも出っくわしちゃったがね。けれど山で死ぬやつ[#「やつ」に傍点]はみんなこんなやつばかりじぁないだろう。無鉄砲をやって死ぬのや、出鱈目《でたらめ》に行ってやられるやつ[#「やつ」に傍点]もいるさ。だけれど、そういうのは問題にはならないよ。注意し、研究もしてみて、自信があってやってさえ、やられたというのでなくちぁね。マンメリイは先刻《さっき》の言葉を、Penalty and danger of mountaineering. っていう章のところで、山登りの危険を詳しく論じてから言っているんだぜ、山登りにはかくかくの危険がある。そしてそれはかくかくして避け得られるし、勝ち得られる。けれどなお登山者の不幸は絶対には避け得られない、と言ってその後へ先刻の言葉をもって来ているのさ。ワンデーだってそうだろう。『山とスキー』に、「人力の及ぶかぎりの確《たしか》さをもって地味に、小心に一歩一歩と固めてゆく時にはじめていままで夢にも知らなかった山の他の一面がじりじりと自分らの胸にこたえてくる」って書いていたじぁないか。おそらくそうやって行って、それでもやられちゃったんだ。そこまでゆけば、あとは運命さ、なんて言ったって俺は運命だと思うよ。だから、そういうようなやつら[#「やつら」に傍点]にとっちゃあ、山登りは趣味だの、またスポートだのって思ってはいないかも知れないぜ。」
答えたひとりは、熱心に、疲れることなく言った。
「スポート、趣味、勿論そうじぁないだろう。俺だっていま現在、俺の山登りはスポートだとも思ってやしないし、趣味なんかでもないや、なんだかわからないが、そんなものよりもっと自分にピッタリしたもんだ。」
新しいひとりが暗いなかで、すぐその前の言葉を受けて、強く言い放った。沈黙が暫くつづいた。すると、
「とにかく、人間が死ぬっていうことを考えのうちに入れてやっていることには、すくなくともじょうだんごと[#「じょうだんごと」に傍点]はあんまりはいっていないからね。…………」と多くを言わずに、あとの言葉をのみこんでしまったように言ったのは、その死んだ友とそのとき行をともにした自分たちの仲間のひとりだった。彼《か》れこそは自分たちの仲間で最も異常な経験をそのときにしたのだ。だから、山での災禍ということについては最も深い信念をば、彼れは特に自分たちに比してもっているわけだ。けれど彼れはそれを自分たちに語りはしなかった。彼れのおもい秘めたような心を自分たちへ敢て開こうとはしなかった。けれど彼れはただこういうことだけは言った。「俺はそのとき以来一層山は自分からはなしがたいものとなってしまった。立山は以前から好きな山だったが、あの時からはなお一層好きになってしまった。」そしてそれ以上はなんにも言
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