うえでとかげ[#「とかげ」に傍点]をやる。とかげ[#「とかげ」に傍点]っていうのは仲間のひとりが二、三年前にここに来て言いだしてから自分たちの間で通用する専用の術語だ。それは天気のいいとき、このうえの岩のうえで蜥蜴《とかげ》みたいにぺったり[#「ぺったり」に傍点]とお腹《なか》を日にあっためられた岩にくっつけて、眼をつぶり、無念無想でねころんだり、居睡《いねむ》りしたりする愉《たの》しみのことをいうんだ。その代り天気の悪いときは山鼠だ。穴へはいりこんで天気のよくなるまでは出ない。出られないのだ。しゃがんでいてもうっかり[#「うっかり」に傍点]すると頭をぶっつけるくらいに低いところだから、動くのも不自由だ。だから奥の方へ頭を突込んで横になったきりにしている。標高があるだけに天気の悪いときはずいぶん寒い。雨も岩の庇《ひさし》から降りこんだり、岩をつたわって流れ込んだりする。風も岩の隙間《すきま》から吹き込む。だがこれほど気分のいいとこはちょっとないようだ。天気でもよし、降ってもいい。自分たちはそこで言いたいことを話したり、思うままに食って、自由に登ってくる。ヒュッテらしい名のつくようなヒュッテも欲しいと兼ね兼ね思っているが、それは冬のときや春のときのことだ。夏にはこんないい自然のヒュッテがどこにでもあるなら、まあ夏だけのものならばそんなに欲しいとは思わない。ここは夏でもすこし早く来るとまだ岩穴が雪に埋っていることもある。
とにかく自分たちの仲間ではここへ来ていろいろと話したり、登ったりして好き勝手に日をすごしてくることが、夏の上高地へ来てのひとつのたのしみなのだ。ところで、ここにはそのひとつとして、その岩小屋のある年の夏のある夜のある仲間のことを書いてみる。これが自分たちの仲間のある時期のひとつの思い出にでもなればいいと思って。
そのとき自分たちは四人だった。自分たちは丁度北穂高の頂《いただき》から涸沢のカールの方へ下りてきたのだった。……そしてそれは夕暮だった。歩きにくいカールの底の岩のテブリイのうえを自分たちの歩みは無意識にすすんで行った。
それは実によく晴れわたった、穏《おだやか》な夏の夕だった。眼のまえの屏風岩のギザギザした鋸歯《きょし》のようなグラートのうえにはまだ、夕雲はかがやかに彩《いろど》られていた。そしてひと音きかぬ静けさが、その下に落ちていた
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