ことを含んでいた。それは山登りのうえのプラクティシュなことを話したと同時に、また或る時には山登りのうえのメタフィジィークについても大いに語り合ったことがある。私らは若い、だからそんな時には、夢中になって、さもえらそうに、いろいろのことをしゃべった。それ故そこにはあるいは青年の純情とも言いつべきものがあるかもしれない。確かにその時どきのある一個の事象に対しては幼稚なまでに直路《ひいぶる》なライデンシャフトを持ってたかも知れない。あるいはこの後、ずっと[#「ずっと」に傍点]時が経ってから顧みる時は、そこに恐ろしく生真面目な、空元気のある、深刻さがあった。そしてやや滑稽な空気が漂っていたのを認めざるを得ないかも知れない。しかしそれはどうでも自分にはいいことだ。人間は常に歩んでいるものだと私はおもう。昨日も今日とは同じきものではないかも知れない。だからその時と現在との間にどんな深いけじめ[#「けじめ」に傍点]があろうと、どんな遥かな隔りがあろうと、それはなんでもないことだ。私らは私らのある時期の「想い出」ともなろうかと思って、こんなことをそこから「ありのままに」何の飾りもなく何の粧《よそお》いもなくひき抜いてきたのである。だからそこにはあるいは愚かしい私らの考えの一端があるかも知れない。けれどこの私の文はその内容を以って目的とはしていないのだ。それは愚かな、また誤った考えでもあったであろう。しかし私は敢て言っておこう。私をしてこの文を成さしめた力は、すべて青春を駆って山を登るうえの真の一路に向わしめるその力によって、わが掌《て》に把握し得たものの一断片をここに投げ出すのだということに於て存したのである。つまらないよけいなことだが敢て附記した次第である。
[#ここで字下げ終わり]
底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年11月14日第1刷発行
2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「登高行 第五年」
1924(大正13)年12月
初出:「登高行 第五年」
1924(大正13)年12月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
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