+樔のつくり」、第4水準2−91−32]帷子とは何でおじゃる」
「何でおじゃるとは平太の刀禰、むすめ、忍藻の打扮《いでたち》じゃ。今もその口から仰せられた」
 平太も今は包みかね、
「ああ術《すべ》ない。いたわしいけれど、さらば仔細を申そうぞ。歎《なげ》きに枝を添うるがいたわしさに包もうとは力《つと》めたれど……何を匿《かく》そう、姫御前《ひめごぜ》は※[#「金+樔のつくり」、第4水準2−91−32]帷子を着けなされたまま、手に薙刀を持ちなされたまま……母御前かならず強く歎きなされな……獣に追われて殺されつろう、脛《はぎ》のあたりを噛み切られて北の山間《やまあい》に斃れておじゃッた」
 母は眼を見張ッたままであッた。平太はふたたび言葉を継いだ。
「おれがここへ来る途じゃ、はからず今のを見留めたのは。思えば不思議な縁でおじゃるが、その時には姫御前とはつゆ知らず……いたわしいことにはなッたぞや、わずかの間に三人《みたり》まで」
 母はなお眼をみはッたままだ。唇は物言いたげに動いていたが、それから言葉は一ツも出ない。
 折から門《かど》にはどやどやと人の音。
「忍藻御《おしもご》は熊に食われてよ」

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 ついでながらこのころ神田明神は芝崎村といッた村にあッてその村は今の駿河台《するがだい》の東の降口の辺であッた。それゆえ二人の武士が九段から眺めてもすぐにその社の頭が見えた。もしこの時その位置がただいまのようであッたなら決して見えるわけはない。
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底本:「日本の文学 77 名作集(一)」中央公論社
   1970(昭和45)年7月5日初版発行
初出:「読売新聞」
   1887(明治20)年11〜12月
※白抜きの読点をコンマ「,」で代用しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:小林繁雄
2006年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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