に民部たちは」
「そのこと、まことそのことにおじゃるわ。おれがこれから鎌倉へ行こうぞと馳せ行いた途《みち》、武蔵野の中ほどで見れば秩父の刀禰たち二方は……」
「さて秩父たち二人は」
「はしなくも……」
「もどかわしや。いざ、いざ、いざ」
「はしなくも敵に探られて、そうじゃ、そのまま斫《き》り斃《たお》されて……」
「こわそぞろ、……斫り斃されて……発矢そのまま斫り斃されて……」
「その驚きは道理《ことわり》でおじゃる。おれも最初《はじめ》はそうとも知らず『何やらん草中に呻《うめ》いておる者のあるは熊に噛まれた鹿じゃろうか』と行いて見たら、おどろいたわ、それがかの二方でおじゃッたわ」
母ははやその跡を聞いていられなくなッた。今まではしばらく堪《こら》えていたが、もはや包むに包みきれずたちまちそこへ泣き臥《ふ》して、平太がいう物語を聞き入れる体もない。いかにも昨夜《ゆうべ》忍藻に教訓していたところなどはあっぱれ豪気なように見えたが、これとてその身は木でもなければ石でもない。今朝忍藻がいなくなッた心配の矢先へこの凶音《きょういん》が伝わッたのにはさすが心を乱されてしまッた。今はその口から愚痴ばかりが出立する。
「ちぇイ主《ぬし》を……主たちを……ああ忍藻が心苦しめたも、虫…虫が知らせたか。大聖威怒王《だいしょういぬおう》も、ちぇイ日ごろの信心を……おのれ……こはこは平太の刀禰、などその時に馳せついて助…助太刀してはたもらんだぞ」
怨みがましく言いながら、なおすぐにその言葉の下から、いじらしい、手でさしまねいで涙を啜《すす》り、
「聞きなされ。ああ何の不運ぞや。夫や聟は死に果てたに……こや平太の刀禰、聞きなされ、むす…むすめの忍藻もまた……忍藻もまた平太の刀禰……忍藻はまた出たばかり……昨夜……察しなされよ、平太の刀禰」
「昨夜、そもいかになされた」
母は十分に口が利《き》けなくなッたので仕方なく手真似で仔細《しさい》を告げ知らせた。告げ知らせると平太の顔はたちまちに色が変わッた。
「さらばあの※[#「金+樔のつくり」、第4水準2−91−32]帷子《くさりかたびら》の……」
言いかけたがはッと思ッて言葉を止《や》めた。けれどこなたは聞き咎《とが》めた。
「和主《おのし》はそもいかにして忍藻の※[#「金+樔のつくり」、第4水準2−91−32]帷子を……」
「※[#「金+樔のつくり」、第4水準2−91−32]帷子とは何でおじゃる」
「何でおじゃるとは平太の刀禰、むすめ、忍藻の打扮《いでたち》じゃ。今もその口から仰せられた」
平太も今は包みかね、
「ああ術《すべ》ない。いたわしいけれど、さらば仔細を申そうぞ。歎《なげ》きに枝を添うるがいたわしさに包もうとは力《つと》めたれど……何を匿《かく》そう、姫御前《ひめごぜ》は※[#「金+樔のつくり」、第4水準2−91−32]帷子を着けなされたまま、手に薙刀を持ちなされたまま……母御前かならず強く歎きなされな……獣に追われて殺されつろう、脛《はぎ》のあたりを噛み切られて北の山間《やまあい》に斃れておじゃッた」
母は眼を見張ッたままであッた。平太はふたたび言葉を継いだ。
「おれがここへ来る途じゃ、はからず今のを見留めたのは。思えば不思議な縁でおじゃるが、その時には姫御前とはつゆ知らず……いたわしいことにはなッたぞや、わずかの間に三人《みたり》まで」
母はなお眼をみはッたままだ。唇は物言いたげに動いていたが、それから言葉は一ツも出ない。
折から門《かど》にはどやどやと人の音。
「忍藻御《おしもご》は熊に食われてよ」
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ついでながらこのころ神田明神は芝崎村といッた村にあッてその村は今の駿河台《するがだい》の東の降口の辺であッた。それゆえ二人の武士が九段から眺めてもすぐにその社の頭が見えた。もしこの時その位置がただいまのようであッたなら決して見えるわけはない。
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底本:「日本の文学 77 名作集(一)」中央公論社
1970(昭和45)年7月5日初版発行
初出:「読売新聞」
1887(明治20)年11〜12月
※白抜きの読点をコンマ「,」で代用しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:小林繁雄
2006年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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