していたところが、ふと聞けば新田義興が足利から呼ばれて鎌倉へ入るとの噂があるので血気盛りの三郎は家へ引き籠もって軍《いくさ》の話を素聞きにしていられず、舅《しゅうと》の民部も南朝へは心を傾けていることゆえ、難なく相談が整ってそれから二人は一途《いッしょ》に義興の手に加わろうとて出立し、ついに武蔵野で不思議な危難に遇《あ》ったのだ。その危難にあったことが精密ではないが、薄々は忍藻にも聞えたので、さアそれが忍藻の心配の種になり、母親をつかまえて欝《ふさ》ぎ出すのでそこで前のとおり母親もそれを諭《さと》して励ましていた。
「門前の小僧は習わぬ経を誦《よ》む」鍛冶屋の嫁は次第に鉄の産地を知る。三郎が武術に骨を折るありさまを朝夕見ているのみか、乱世の常とて大抵の者が武芸を収める常習《ならわし》になっているので忍藻も自然太刀や薙刀《なぎなた》のことに手を出して来ると、従って挙動も幾分か雄々しくなった。手首の太いのや眼光《めざし》のするどいのは全くそのためだろう。けれど今あからさまにその性質を言おうなら、なるほど忍藻はかなり武芸に達して、一度などは死にかかっている熊《くま》を生捕りにしたとて毎度自慢が出たから、心も十分|猛々《たけだけ》しいかと言うに全くそうでもない。その雄々しく見えるところはただ時々の身の挙動《こなし》と言葉のありさまにあったばかりで、その婦人に固有の性質は(ことに心の教育のない婦人に固有の性質は)跡を絶ってはいない,たしかになくなってはいない。
 母が立ち去った跡で忍藻は例の匕首《あいくち》を手に取り上げて抜き離し、しばらくは氷の光をみつめてきっとした風情であったが、またその下からすぐに溜息が出た,
「匕首、この匕首……さきにも母上が仰せられたごとくあの刀禰の記念《かたみ》じゃが……さてもこれを見ればいとどなお……そも刀禰たちは鎌倉まで行き着かれたか、無難に。太《いと》う武芸に長《た》けておじゃるから思いやるも女々しけれど……心にかかるは先ほどの人々の浮評《うわさ》よ。狭い胸には持ちかねて母上に言い出づれば、あれほどに心強うおじゃるよ。看経も時によるわ、この分《わ》きがたい最中《もなか》に、何事ぞ、心のどけく。そもこの身の夫のみのお身の上ではなくて現在母上の夫さえもおなじさまでおじゃるのに……さてもさても。武士《もののふ》の妻はかほどのうてはと仰せられてもこの
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