メルソンに復《かへ》る也。シェーキスピーアに倦《う》む者はトマス、エケンピスに復る也。歴史は人を受動的ならしむ、人は更に主動的の者を求む。歴史は人をして古今の人物に交はらしむ、人は更に離群索居独り静思を楽しまんと欲す。歴史は人を此世の事業に誘ふ人は更に永遠のものを求む、歴史は人に差別を教ふ人は更に無差別の境を求む、歴史的の傾向に次で来る者は必らず哲学的の傾向也。試みに之を歴史に徴すれば述而不[#レ]作、信じて古《いにしへ》を好みし儒教に次で起りしものは即ち黄老《くわうらう》の教也。東漢名節を尚《たふと》び三国功業を重んぜし後は即ち南北二朝の清談也。蘇氏の策論に殿《でん》せしものは即ち朱子の性理学也。吾人は今日に於て人心の哲学的に傾くを怪しまざる也、唯其久しく之れ飢渇せしが為めに善き物と悪《あ》しき物とを撰ばずして之を呑噬《どんぜい》し終《つひ》に不消化不健康なる思想を蔓延せしめんことを憂ふ。
青帝《せいてい》駕を命じてより、武蔵野の草は様々色を表はしぬ、而して女学雑誌社と云へる花壇に咲きたる花は何となく、凡神的《はんしんてき》、唯心的の傾向を表はしぬ、女学雑誌には慥《たし》かに衝突せ
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