る二個の分子が存在するを見る。一方は即ち孤女院、貧民院等の義挙に同感を表する人情《ヒウマニチイ》也、他方は即ち禅僧の如き山人《ヘルミット》の如き、世の所謂《いはゆる》すね者の如き超然|独《ひとり》を楽しむ主我的観念也。吾人は此二の者が幸にして相合せるを祝す。然れども荀卿《じゆんけい》性悪を唱へて李斯《りし》書を火にす、女学子若し今にして警醒せずんば天下を率ひて清談風話に溺《おぼ》らしむる者は女学子其一部の責に任ぜざるを得ず予は実に女学子を以て此傾向の代表者として一矢《いつし》を向けざるを得ざるを悲しむ。
 吾人《われら》嘗《かつ》て陶淵明幽居を写すの詩を読み、此間有[#二]真意[#一]、欲[#レ]弁已忘[#レ]言といふに至つて其自然と己とを合して自他を忘却し、非自覚的《アンコンシァスネス》に自然を楽しむの妙を言顕《いひあら》はせしに敬服したりき。蓋《けだ》し自然を楽しまんとせば先づ己れを殺して自然の流行に此身を投じ、「エクスタシイ」の境に至らざるを得ず。
 蕉翁が所謂「古池や蛙飛込む水の音」亦此意に外ならざる也。吾人は世の詩人が斯《かく》の如くなるを尤《とが》むる者に非ず、然れども若し是を以て一種の哲学となし、因《よつ》て以て人事を律せんとするに至つては即ち大声叱呼して其非を鳴さゞるを得ず、而して世の短視なる者詩人の斯の如く説くを見て直《たゞ》ちに是れ詩人の哲学也と曰ひ明月や池を廻つて夜もすがらと歌ひし為めに芭蕉は斯の如き宗教を有すと断ぜんとす吾人は之が為めに長歎を発せざるを得ざる也。
[#地から2字上げ](明治二十六年四月十六日)



底本:「現代日本文學体系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「国民新聞」
   1893(明治26)年4月16日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2006年7月3日作成
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