を以て直《たゞち》に其心裏に反撃の波浪を捲《ま》き起したるならん。僕は当時世に樽柿を食《くら》ひても猶《なほ》酔ふものなきに非ず、透谷の感性は甚《はなは》だ之に似たり。余り「デリケート」にして、浮々《うか/\》之に触るれば直ちに大振動を起すべき恐ろしき性質のものなりと思ひしこともありき。透谷が僕と論戦を開きし第一の動機は僕が『山陽論』を書きて文章は事業なり、英雄が剣を揮《ふる》ふも、文士が筆を揮ふも共に空《くう》を撃つが為めにあらず、為す所あらんが為めなりと云ひしより起れり。是れ実に僕が東都の文壇に於て他人に是非せらるゝに至りたる始めなりき。而して此文の出づるや透谷は直ちに之れを弁駁して事業と云ひ、功績と云ふが如き具躰的の功を挙ぐるは文人の業に非ず、文人の業は無形の事、即ち人の内心《インナーハート》に関す、愛山の所謂《いはゆる》空を撃つが為めなりと言へり。二人の間に議論に花が咲きたるは実に此に始まれり。去りながら僕は当時少しも透谷の説に感服せざりき。何となれば僕の事業と云ひしは決して具躰的に表はるべき事功のみを指したるに非ず。僕は心霊が心霊に及ぼす影響は何にても之を事業と云ふべきものな
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山路 愛山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング