信仰個条なかるべからず
山路愛山
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)旌旗《せいき》なり
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)横井時雄氏|曾《かつ》て
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)屡々《しば/\》
−−
旗色分明ならずんば三軍何を以て向ふ所を知らんや。信条は異論に対し、他派に対し、同一普通の信仰を有する一隊が敵と味方と朋友とを区別せんが為めの旌旗《せいき》なり。是れ微《なか》つせば以て精神界に出でゝ統制一致の運動を為《な》す能はず。
故に信条は歴史の産物なり。信条の生ずるは勢の必至なるものなり。
人或は曰ふ信条の如き狭隘《けふあい》、独断の物を掲げて以て世に示すことは思想の自由を尊ぶ者をして其中に入るを嫌はしむるの媒たりと。異なる哉《かな》言や。吾人《われら》は思想の自由を尊ぶが故に信条を掲げて以て去就を明かにせんとする也。天下の心は猶天下の面の如し。人々異なれり、誰れか狭隘の譏《そしり》を免れん、誰れか独断の譏を免れん。総《すべ》ての人を感服せしむることは基督《キリスト》と雖《いへど》も能はざりしなり。故に信条を掲げて以て来る者を歓迎し、往く者は尤《とが》めざる也。横井時雄氏|曾《かつ》て信仰を告白し、内村鑑三氏亦信仰を告白す。是れ二君の信仰なり。二君安心立命の地なり。二君の敵と味方と朋友(精神界の)とは此告白に因《よ》りて決すべきなり。吾人は二君の為めに此挙あるを喜ぶ。此に依りて略《ほゞ》二君立脚の地を知り略二君の旗色を解したればなり。
新信条を以て旧信条に代《か》ふべしと曰《い》ふは可なり。之を増減|刪加《さんか》すべしと曰ふは可なり。之を置くの可否を論ずるに至りては事理を解せざるの太甚《はなはだ》しき者也。
吾人は我教会に斯《かく》の如き空論家多きものありと曰はず。教師に空論の説教を為す者ありと曰はず。然《しか》れども今日の時に方《あた》りて何人も自ら此点に就て省みるの必要は必ず有りと信ずる者也。何となれば日本の地、日本の現時は実に基督教の救済を要するものあり、而して是唯基督教の精神を我社会に実現するによりてのみ行はるべきものにして、今の時は徒《いたづ》らに神学、哲学、理想を語りて止むべきの時に非ずと信ずればなり。
吾人は国家と基督教てふ二個の名詞を聞くこと多し。吾人も亦二者の関係を解せざる者に非ず。国家の生命と元気とは堅固なる信仰、高尚なる道徳に頼りてのみ栄ゆるものなることを信ずる者なり。吾人は又|屡々《しば/\》愛国及び基督教てふ声を聞き政府及び教会てふ声を聞き、社会問題及び教会てふ声を聞く。若《も》し明治十八九年を以て学術及び基督教の関係が説かれたる時代なりとせば近き二三年は国家、社会及び基督教の関係が重《お》もに説かるゝの時代なりと曰ふべし。夏来れば蝉は必らず鳴く者なり。時勢の推移、此に至りしこと強《あなが》ちに尤《とが》むべからずと雖も、吾人にして若し唯基督教の国家社会を利する所以《ゆゑん》をのみ論じて、而して之を実地に応用するは必らず先づ一個人より始めざるべからざることを忘却せんには、是れ天上の星を仰ぎて足を溝《みぞ》に失したる古《いにしへ》の哲学者に類せざらんや。
吾人は屡々諸教会の教師より其の講題を蒐《あつ》めて日本の講壇は重もに何を説くかを観察せんと欲したりき。吾人未だ之を為すに暇あらざりしと雖も、其事大抵察すべきのみ。若し我が講壇をして単に教師が其理想、其議論を語るの所たるに止《とゞ》まらしめば、教会は空論の教会となり、而して信徒は空論の人となるべき也。
吾人の必らず記すべきことは、吾人は理想の中に活《い》くる者に非ず、実地の世界に立つ者なることなり。所謂、改悔《かいくわい》、救拯《きうじよう》、信仰復活の如きは総て想考的のものに非ずして、経験的のものたることなり。牧師は会員に基督教徒たる教育を与ふべき者にして会員に基督教義の学問を教ふるは寧ろ其第二、第三の務に属するなり。
昔しは儒生実地に用なきの空論にのみ汲々《きふ/\》たりしかば人をして六経は争論の資のみと嘲《あざけ》らしめたりき。願《ねがは》くは基督教会を以て空論の巣となして識者をして冷笑せしむる勿《なか》れ。
予言者は殺されたり、然れども追慕せられたり。精神界の改革は、軽蔑せられ、迫害せられ、殺されたる少数者の手に因りて濫觴《らんしやう》せり。吾人たとひ現時に於て骨を溝中に暴《さら》すとも百世の後、我日本の精神界、道徳界に大造《たいざう》あるの名を遺さば亦以て怨《うら》みなかるべし。
柔かき臥床《ふしど》は英雄の死せんことを希《ねが》ふ場所に非ず。誹謗《ひばう》、罵詈《ばり》、悪名、窘迫《きんぱく》は偶《たま/\》以て吾人の徳を
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山路 愛山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング