し談理の弊に陥れば、其詩は即ち索然として活気を失はざるを得ず、何となれば是れ既に情《ハート》の声に非ずして知《マインド》の声なれば也。詩人若し自己の哲学に牢せらるれば、其詩は即ち単調とならざるを得ず、何となれば千篇も終に一律の外に逸する能はざれば也。
吾れは是故に審美論を喋々《てふ/\》して、後進を率ゐんとする者を目して詩道の李斯、王安石となす。
詩人よ、爾《なん》ぢ感ずるがまゝに歌ひ、見るがまゝに説き、思ふがまゝに語れ。爾が心の奥を開きて隠すこと勿《なか》れ。爾が成功の秘密は斯の如きのみ。
爾は自己に協《かな》へる衣を択び自己の詩想を発揮すべき詩形を択べ、爾自己のを歌へ、古人の蘇言機たること勿れ。
予は詩道のベーコンが世に出でんことを望む。今日の乏しき所は高き理想に非ず、美しき辞令に非ず、豊富なる詩題《サブゼクト》なり。主観的の想考に富んで客観的の題目に貧しきは今の詩人の弊なり。予は詩人がしばらく空しき想像を離れて、先づ天地と人生とを見んことを希望す。彼等世に遠かるが故に世と疎《うと》き也。
感情は見るに因つて生ず、見ずして摸索す、是に於てか勢ひ虚偽に流れざるを得ず。予《わ
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