英雄論
明治廿三年十一月十日静岡劇塲若竹座に於て演説草稿
山路愛山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)破天荒《はてんくわう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)我道|将《ま》さに

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「髟/參」、第4水準2−93−26]

 [#…]:返り点
 (例)以[#レ]水止[#レ]水

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)汲々《きふ/\》たる
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 金色人種に、破天荒《はてんくわう》なる国会は、三百議員を以て、其開会を祝さんとて、今や仕度《したく》最中なり、私権を確定し、栄誉、財産、自由に向て担保を与ふべき民法は、漸《やうや》く完全に歩みつゝあり、交通の女王たる鉄道は何《いづ》れの津々浦々にも、幾千の旅客を負ふて、殆《ほと》んど昼夜を休《や》めざる也、日本の文明は真個に世界を驚殺せりと云べし、三十年前、亜米利加《アメリカ》のペルリが、数発の砲声を以て、江戸城中を混雑せしめたる当時と今日とを並べ見るの利益を有する人々には我文明の勢、猶《なほ》飛瀑千丈、直下して障礙《しやうがい》なきに似たる者あらんか、東西古今文明の急進勇歩、我国の如きもの何処《いづく》に在る。
 嘗《かつ》て加藤博士が国会猶早しと呼びたるの時代ありき、嘗て文部省は天下に令して四書五経を村庠《そんしやう》市学の間に復活せしめんとせし時代もありき、当代の大才子たる桜痴福地先生が王道論とかいへる漢人にても書きそふなる論文をものせられし時代もありき、ピータア、ゼ、ヘルミット然たる佐田介石師が「ランプ」亡国論や天動説を著して得々乎として我道|将《ま》さに行はれんとすと唱はれたる時代もありき、丸山作楽君が君主専制の東洋風に随喜の涙を流されし時代もありき、如此《かくのごとく》に我日本の学者、老人、慷慨家《かうがいか》、政治家、宗教家達は、我文明の余りに疾歩するを憂へて、幾たびか之を障《さゝ》へんとし、之が堤防を築き、之が柵門を建られつれど、進歩の勢力は之に激して更に勢を増すのみにして、反動の盛なると共に正動も亦《また》盛にして、今や宛然《ゑんぜん》として欧羅巴《ヨーロッパ》ナイズされんとせり、勿論|輓今《ばんきん》稍《やゝ》我人心が少しく内に向ひ、国粋保存の説が歓迎さるゝの現象は見ゆれど、是唯我人民が小児然たる摸倣時代より進んで批評的の時代に到着したるの吉兆として見るべきものにして、余は之れが為めに我が文明の歩を止むべしとは思はざるなり。論じて此《こゝ》に到れば、吾人《われら》は今文明の急流中に棹《さをさ》して、両岸の江山、須臾《しゆゆ》に面目を改むるが如きを覚ふ、過去の事は歴史となりて、巻を捲《ま》かれたり、往事は之れを追論するも益なし、未来の吉凶禍福こそ半《なかば》は大勢に在り、半は吾人の手に存するなれ、我文明を如何《いか》にすべき、是吾人の今日に於て解釈すべき問題に非ずや、呉越《ごゑつ》の人たとひ天涯相隔つるとも、一舟の中に乗ぜば安全なる彼岸《ひがん》に達せしむるまでは、共に力を此に致さざるべからず、来れ老人よ、青年よ、仏教家よ、「クリスチァン」よ其相互の感情に於ては冷かなるも、其宗敵たる位置に於ては相争ふも、此一事に於ては兄弟であれ、手を携ふるものであれ。
 吾人《われら》は今文明急流の中に舟を棹しつゝあり、只順風に帆を挙《あげ》て、自然に其運行に任すべきか、抑《そ》も預《あらか》じめ向て進むべき標的を一定し置くべきか、若《も》し此|儘《まゝ》に盲進するも、前程に於て、渦流、暗礁、危岸、険崖なくんば可なり、柔櫓《じうろ》声中、夢を載せて、淀川を下る旅客を学ぶも差支なしと雖《いへど》も、若|夫《そ》れ我文明の中に疾《やまひ》を存し、光れる中に腐敗を蔵するを見ば、焉《いづくん》ぞ大声叱呼して柁師《かぢし》を警醒せざるを得んや。
 夫れ物質的の文明は唯物質的の人を生むに足れる而已《のみ》、我三十年間の進歩は実に非常なる進歩に相違なし、欧米人をして後《しり》へに瞠若《だうじやく》たらしむる程の進歩に相違なし、然れども余を以て之を見るに、詮じ来れば是唯物質的の文明に過ぎず、是を以て其文明の生み出せる健児も、残念ながら亦唯物質的の人なる耳《のみ》、色眼鏡を懸け、「シガレット」を薫《くゆ》らし、「フロック、コート」の威儀堂々たる、敬すべきが如し、然れども是れ銅臭紛々たる人に非ずんば、黄金山を夢むるの児なり、其中に於て高潔の志を有し、慷慨の気を保つもの、即ち晨星《しんせい》も啻《たゞ》ならじ、束髪|峨々《がゝ》として緑※[#「髟
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