担保たらざるなり(三)[#「(三)」は縦中横]吾人只一策あり是れ天然の法則なり、是れ歴史上の事実なり、何ぞや、英雄を以て英雄を作るに在るのみ。蓋し観感興起の理、所謂「インスピレーション」の秘奥は深く人心の裏《うち》に潜む、吾人今其如何にして英雄の品格が他の英雄を作り能ふかを弁解せんとする者に非ず、而れども生物が生物を生ずることが生物界の原則たるが如く、英雄の好摸範が更に他の英雄を造るの一事は疑ふべからざるの事実なり、国家若し英雄漢あらんか、一波万波を動し、一声四辺に響くが如く、許多の小英雄は恰《あたか》も大小の環《わ》の如く、中心なる大英雄を取巻きて、一団の人色を造るべし、彼等は斯の如くにして革命を催すべし、国の元気を恢復すべし、其土地の塩となるべし、其世の光となるべし、大学に所謂一家仁、一国興仁、もの是也、西郷南洲氏は、是を以て百二都城の健児を結び、維新の盛事を成せり、十年の争乱を惹起《ひきおこ》せり、新島襄君は是を以て「コンクレゲーショナリスツ」の一派を結び、我日本の精神世界に運動を試みたり、孔夫子は嘗て、是を以て、支那の人心を結びたり、今日も猶其|残喘《ざんぜん》を保ちつゝあり、国の進動する所以《ゆゑん》の者、此に存す、国民若し仰ぎて中心とする英雄|微《なか》つせば、其文明は到底唯物的の魔界に陥らざるを得ず。
 故に今日に及んで、我文明の進路を一転すべきの策、唯国民をして其理想人たるに適ふべき最大純高の英雄を仰がしめて以て国民の品格を高くするに在る耳《のみ》、其教訓、其訓誡を論ずるの外、其如何に世を経過せしかの摸範を示して以て向ふ所を知らしむるに在る耳、唯其言語が訓戒とするに足る耳ならず、併せて其行為を以て訓戒とするに足るべき者を求めて、之を仰視せしむるに在る耳、孟軻《マウカ》氏曰く、伯夷《ハクイ》の風を聞く者は、頑夫も廉《れん》に、懦夫《だふ》も志を立《たつ》る有り、又曰く柳下恵《リウカケイ》の風を聞く者は、鄙夫《ひふ》も寛に、薄夫も敦《あつ》しと、吾人は其生涯の行為、磊々落々《らい/\らく/\》、天の如く、神の如く、「シミ」なく、疵《きず》なく、万世の師範たるに足るものを世界の中に求めて之を頂かざるべからず。
 蓋し大《おほい》なる国民は大なる英雄を奉じ、小なる国民は小なる英雄を奉ず、此理必しもカライル氏を待ちて後に知る程の秘密に非ず、国民の理想とするところ低くんば、其国民も亦低からざるを得ず、国民の理想とするところ高くんば其国民も亦高からざるを得ず、故に吾人は英雄を仰がざるべからず、而して其英雄は最大至純の者ならざるべからず。
 吾人《われら》は今|爰《こゝ》に印度の公子とナザレの木匠とを比較せんとする者に非ず、何となれば、斯る議論は「宗教家」として徒らに争論の資を作るが如きものたるのみならず、其生長の年歴さへ、種々の説ありて殆んど神秘時代に属するが如く見ゆる瞿曇《クドン》氏とヲーガスチン帝の時に生れ、タイベリアス帝の時に殺されし、純然歴史上の人物たるイヱス、キリストとを比較せんことは少しく不倫の嫌あればなり、而れども吾人は爰に確乎たる信用を以て、イヱス、キリストの人品は信《まこと》に世界の師範として仰ぐに足るべきものなることを敢言せんとす、思ふにゾロアスタル、釈迦《シャカ》の如き文籍未だ備はらず考証未だ全《まつた》からざる、時代に属する人は之を置く、歴史以後の人、ソクラテスと雖《いへども》、プレトーと雖、孔丘《コウキウ》、老冉《ロウゼン》、荘周《サウシウ》と雖、之をイヱス、キリストに比すれば、光芒|太《はなは》だ減ずるを覚ふ、是余一人の私言に非ず、又「クリスチァン」の偏説にも非ず、歴史を編む者、悉《こと/″\》く之を認む、ルーサーも之を認め、ギボンも之を認め、レナンも亦之を認む、我日本の精神的改革を図る者|焉《いづくん》ぞ目を此《こゝ》に注がざる、吾人は似て非なる者を悪《にく》む、更に名を宗教に借りて実なき者を悪む、聞く獅子の身中に虫ありて獣王だも、猶之が為に殺さると、彼《か》の宗教の名を以て、世に行はるゝ虚礼、空文は奚《いづくん》ぞ基督教の獅身虫に非《あらざら》んや、それ藩籬は以て侵叛を防げども之が為に其室内の玲瓏《れいろう》を遮《さへぎ》るべし、世の所謂神学なるもの、礼式なるもの、或は恐る之れが為に基督の品格を蔽はんことを、而れども仁を啖《くら》ふ者は穀を割らざるべからず、其永々しき祈祷に辟易《へきえき》し、其クド/\しき礼拝に辟易して、其内に存する甘実を味ふ能はずんば、寧《むし》ろ智者の事ならんや、基督嘗て曰へり我は道なり、生命なり、光なりと真個《まこと》に基督教を脩めんとするもの、真個に基督教を攻撃せんとする者、焉ぞ其本に返りて、基督の品格を研究せざる、庶幾《こひねがはく》は以て無益の争論を止むべし。
 
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