3字下げ]さらぬだに打寝る程も夏の夜の夢路をさそふ郭公《ほととぎす》かな
 と詠ずれば、勝家もまた、
[#天から3字下げ]夏の夜の夢路はかなき跡の名を雲井にあげよ山郭公
 二十四日の暁方《あけがた》、火を城に放つと共に勝家始め男女三十九人、一堂に自害して、煙の中に亡び果てた。勝家年五十四である。お市の方は、生涯の中《うち》二度落城の悲惨事に会った不幸な戦国女性である。秀吉もかねて、お市の方に執心を持っていたので、秀吉と勝家との争いにはこうした恋の恨みも少しはあったのであろう、という説もある。お市の方の三女は、無事秀吉の手に届けられたが、後に、長女は秀吉の北の方淀君となり、次は京極宰相高次の室に、末のは将軍秀忠の夫人となった。戦国の世の女性の運命も亦不思議なものである。
 盛政は勝家の子権六と共に捕われ、北の庄落城前、縄付きの姿で、城外から勝家に対面させられている。権六は佐和山に、盛政(年三十)は六条河原に、各々斬られた。信孝(年二十六)も木曾川畔に自決して居る。清洲会議の外交戦に勝った秀吉は茲《ここ》に全く実力の上で、天下を取ったわけである。

     後記

[#ここから2字下げ]
この合戦記を作るに際して、
 『余呉床合戦覚書』及び『別本余呉床合戦覚書』上下を主たる参考本とし、諸本によっては人名の多少異るものがあるが今は総《すべ》てこの覚書に従った。
 他に参考としたものは次の如し。
  柴田退治記
 これは合戦の当年天正十一年十一月大村|由巳《よしみ》の著したもので最も真実に近いが故に、これによって訂正した処がある。
  賤岳合戦記
  太閣記
  川角《かわずみ》太閣記
  豊鑑《ふかん》
  豊臣記
  蒲生氏郷記
  佐久間軍記
  清正記《せいしょうき》
  脇坂家伝記
 並に
  近世日本国民史
  豊臣時代史
  日本戦史
  柳瀬役《やなせのえき》
[#ここで字下げ終わり]



底本:「日本合戦譚」文春文庫、文藝春秋社
   1987(昭和62)年2月10日第1刷発行
入力:網迫、大野晋、Juki
校正:土屋隆
2009年9月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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