、次から次とやって来る。勝家大いに焦《あせ》るけれども、容易には此処を通り難い。そこで盛政と相談して、もと、柴田伊賀守の与力であった山路将監が、一方の固めの将である、幸い、彼をして秀吉に裏切らしめ、秀吉の陣を乱そうと云うことになった。日頃将監と親しかった宇野忠三郎と云う者に、密命を云含ませた。忠三郎即ち夜半に将監が陣所に忍んで、面会を求めた。将監、今は敵味方のことであり、且つ陣中なればと云って会おうとしない。忠三郎、大小を棄て、是非にと願うので、将監これを引見した。忠三郎が齎《もたら》した勝家の内意を知ると、将監は、主人勝豊も秀吉の味方となり、某も一方の固めを任された程である、今裏切ることは武士として情ない、と答えて諾しようとしない。忠三郎は更に説いて、勝豊を主人と云われたが、貴殿は勝家から勝豊の与力として添えられた者で、寧《むし》ろ主従の関係は勝家との間に在る、誰か不義であると云わん、且つは帰参の恩賞には、勝豊の所領丸岡の城付十二万石を給わる筈なのである、と勧めるので、将監とうとう慾に目が眩《くら》んで裏切を承知した。たしかに十二万石を呉れると云う誓紙まで要求して居る位である。一度柴田方を裏切って、秀吉につき、今度は秀吉を裏切って柴田についた。現代の政治家のある者のように節操がない。これでは妻子が秀吉のために磔《はりつけ》にされたのも仕方がないだろう。
 佐久間盛政は投降した山路将監を呼んで、攻撃の方法を尋ねた。将監の答えるに、「何《いず》れの要害も堅固であるから、容易には落ちまい。ただ、中川瀬兵衛守る処の大岩山は、急|拵《ごしら》えで、壁など乾き切らない程である。此処を不意に襲うならば、破れない事はあるまい」と。盛政喜んで勝家の許に至り、襲撃せんことを乞うた。秀吉の智略を知り抜いて居る勝家は、敵地深く突入する盛政の策を喜ばない。盛政は腹を立てて、今一挙にして襲わなければ何時になって勝つ時があろうと、云うので、勝家止むなく許した。しかし、くり返しくり返し勝に乗ずることなく、勝たば早急に引取るようにと戒めた。勝気満々たる盛政のことだから、勝家の許しが出たら、もう嬉しくて、忠言など耳にも入らない。大岩山襲撃の策が決ると、四月十九日夜盛政を始めとして、弟勝政、徳山五兵衛尉、不破彦三、山路将監、宿屋七左衛門、拝郷《はいごう》五左衛門以下八千騎、隊伍粛々として、余呉の湖に沿
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