と、良沢に対するそうした寂しさもすぐ消えてしまった。
 そのうちに淳庵が見えた。小半刻ばかり経つ頃に、春泰と良円とが、連れ立ってやってきた。六人の顔が揃うと、打ち連れ立って骨ヶ原に向った。
 春の早朝の微風に顔を吹かせながら、六人は興奮してよく喋った。六人とも、中年を越した者ばかりであったけれども、彼らの心持は、期待のために躍っていた。六人の歩調が、いつの間にか早くなっていた。小男の淳庵が、ともすれば遅れがちであった。
 玄白は、いつターヘルアナトミアを取り出して、皆に披露しようかと思っていた。彼は、さっき山谷町の茶屋で披露しようと思いながら、ついその時機を得なかった。
 骨ヶ原の刑場に近づくと、街道に面した梟木《きょうぼく》の上に、刑死して間もないような老婆の首がかけられていた。その胴体が、今日腑分せられるのだと気がつくと、六人はちょっと不快な感じを懐かずにはおられなかった。
 非人|頭《がしら》が、六人を刑場の入口にある与力詰所へ案内した。腑分の準備が整うまで、六人はそこで待たなければならぬのだった。
 玄白は、今こそと思いながら、懐《ふところ》のターヘルアナトミアに手をかけようと
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