ていたが、カピタンが江戸に逗留中の旅館であるこの長崎屋への出入は、しばらくの間のこととて、自然何の構《かまえ》もなき姿であった。
 従って、オランダ流の医術、本草《ほんぞう》、物産、究理の学問に志ある者を初め、好事《こうず》の旗本富商の輩《はい》までが、毎日のように押しかけていた。
 ことに御医術の野呂玄丈や、山形侯の医官安富寄碩、同藩の中川淳庵、蔵前の札差で好事の名を取った青野長兵衛、讃岐侯の浪人平賀源内、御坊主の細井其庵、御儒者の大久保水湖などの顔が見えぬことは希だった。
 そうした一座は、おぼつかない内通辞を通じて、カピタンにいろいろな質問をした。それが、たいていはオランダの異風異俗についての、たわいもない愚問であることが多かった。カピタンの答によって、それが愚問であることがわかると、皆は腹を抱えて笑った。
 また、ウェールグラス(晴雨計)や、テルモメートル(寒暖計)や、ドンドルグラス(震雷験器)などを見せられると、彼らは、子供が珍しい玩具にでも接したように欣んで騒いだ。
 が、こんな時、一座を冷然と見下《みくだ》すように座っているのは良沢だった。彼は、みんなが発するような愚問は、決して発しなかった。彼は、初めから終りまで、冷笑とも微笑ともつかない薄笑いを唇の端に浮べながら黙ってきいていた。
 一座が、たわいもなく笑っても、彼のしっかりと閉された口は、容易にほころびなかった。
 が、ある問題で、一座が問い疲れて、自然に静かになった頃に、良沢はきまって一つ二つ問いただした。一座の者には、その質問の意味がわからないことさえ多かった。が、カピタンが通辞からその質問を受け取ると、彼はいつもおどろいたように目を瞠《みは》りながら、急に真面目な態度になって、長々と答えるのが常だった。
 一座の者は、良沢のそうした――彼一人高しとしているような態度を、少しも気に止めていないらしかったが、玄白だけは、それが妙に気になって仕方がなかった。
 つい、昨日もこんなことがあった。それはいってみれば、なんでもないことだが、カピタンのカランスが、座興のためだったのだろう、小さい袋を取り出して皆に示した。通辞は、カピタンの意を受けて、こんなことをいった。
「カランス殿のいわれるには、この袋の口を、試みに開けて御覧《ごろう》じませ。みごと開けた方にこの袋を進ぜられるとあるのじゃ」
 カランス
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