見物《みもの》ができたことを、欣んだのである。
「うむ! 家を建てるのかな。が、こんな田圃の中にぽっつり建てるわけはない。木組をしてからどこかへ運んで行くのだろう」
 彼は、心のうちでそんなことを考えながら、じっと大工たちの働くのを見ていた。
 が、それを見ているのは、格之介と木村清八とだけではなかった。どんなに、死が迫ってきている時でも、人間は退屈をするものである。十三人の中で、さっきから碁を囲んでいる築麻市左衛門と宇多熊太郎との外は、みんな外へ出て大工の働くのを見ていた。
 三人の大工は、材木を下してしまうと、銘々に手斧を使い始めていた。手斧が、木に食い入る音が澄み渡った早春の空気の中に、しばらくは、快く響いていた。
 が、そのうちに縁側に立っている人々は、単純な大工の動作に飽いて、いつとなく部屋の中へ入ってしまった。格之介と清八とだけは、まだ縁側を離れなかった。
 大工は、その材木で幾本となく高い柱をこさえていることは明らかだった。そして、一方の端を、土の中へでも打ち込むように尖らせているのだった。そのうちに、そうした丸い柱の数も格之介にはわかった。
 大工は十本の柱を、こさえ上げてしまうと、今度は車に積み残してあった材木を下しにかかった。
 見ると、それは幅が一尺ぐらい、長さが一間ぐらいあろうと思われる板だった。厚みは一寸にも近かった。板の数は、数えると五枚あった。
「怪《おか》しいなあ。一体、何をこさえるのだろう」
 そばにいる清八が、首を傾げながら呟いた。格之介にもそれが不思議に感ぜられていた。彼も大工が何を作ろうとするのか、少しも見当がつかなかった。
 そのうちに大工は、銘々一枚の板と二本の柱とを揃えると、板の両端へ一本ずつの柱を当てがった。
「おや!」と、思っているうちに、大工は道具箱から一尺に近い鎹《かすがい》を取り出して、柱と板との継目に当てがうと、大きい金槌へ、いっぱいの力を籠めながら、カーンと鋭く打ち込んだ。
 今まで、好奇心だけで見ていた清八が、ちらりと格之介の顔を振り返った。清八の顔には、血の気がなかった。唇がびくびく動いた。それを見返した格之介が、もっとあわれな顔をしていたことはむろんである。二人は、さっきからうかうかと、獄門台が作られるのを見ていたのである。
「こりゃいかん! 諸君、あんなものを作っている。あんなものを」
 清八は、救いを求めるような悲鳴をあげた。五、六人続いて、縁側に飛び出して来た。が、みんな一目見ると、色を変えてしまった。誰もなんともいわないで、縁側の上に釘付にされたように立っていた。
 碁を囲んでいた築麻市左衛門までが、立ち上ってきた。さすがに彼も、一目見ると、かすかではあるが顔色が変った。
「うむ! 謎をかけおったな。われわれに、覚悟をせよという謎だな」
 彼は重くるしい口調で、みんなの沈黙を破った。
 いちばんおしまいに出て来た宇多熊太郎は、いちばん動じていなかった。
「もう諸君! 今夜がお別れじゃ! 刻限は明日の夜明けだな、案ずるに」
 彼は苦笑しながら、みんなを見返った。
「五人だけは梟首《さらしくび》か。拙者は免れぬな、あははは」
 市左衛門がそういった。彼は獄門台の数を数えてみたのである。
 格之介は、さっきから、止めようとしても止らない胴震いが、身体のどこからともなく、全身に伝わってくるのである。
 獄門台の数が五つ。それを数えたときに、彼は自分の死首がその上に載っているような気がした。もうそれで、彼が殺されて、梟首されることは確かだった。十三人の中で八人まで軽輩の士である。お目見得以上の士は五人しかいない。彼はその五人の中で、家の格式がちょうど真ん中に位している。
「五人だけは、獄門になるのは分かった。が、後の八人はどうなるのだろう。斬首かな、それとも命だけは助かるかもしらん」
 足軽の中で、いちばん年輩の男が、そういった。彼はまだ一|縷《る》の望みを繋いでいた。
「助かる! たわけたことをいわれる! 今になって助かることを考える。積ってもみるがいい。五人の方々が梟首される以上、われわれが助かるはずがあるものか。武士たるものに、梟首は極刑じゃ。五人の方々を極刑にする以上、われわれを許すはずがない。打首だけなら、まだ仕合せじゃ。御覧なされい! 今にも、もう一台材木を引いた車が参るから」
 加藤小助が、地獄の獄卒ででもあるように、憎らしげにそういった。そのくせ、彼の顔色にも人間らしい色が残っていなかった。
 八人の軽輩の人たちは、加藤の言葉を不快に思った。が、その真実を認めないわけにはいかなかった。五人の上士たちが梟首にされる以上、残りの八人が、たとい梟首は免がれるにしても、打首だけは確かな事実だった。
 ことに、五人の中に入っている格之介が死を免がれ得るような理由は、少しも考えられなかった。死は、ただ時の問題として、彼の前に迫ってきた。彼も、どうにかして死を待ち受ける準備をしなければならなかった。
 獄門台が、すっかりでき上って、その気味の悪い格好をずらりと地上に並べている時だった。燃ゆる赤熊《しゃぐま》の帽子を着た鳥取藩の士官が空地へ現れた。士官が、何か合図すると、大工たちは一つの獄門台を、三人で担ぎながら、寺の方へ近づいて来た。何をするのかと思っていると、寺の板塀の上に、獄門台の板が、ぬっと現れた。見ると、今までは気がつかなかったが、板のちょうど中央に、死首を突きさす釘が打ってあって、それが夕日の光を受けて、きらきらと光っているのだった。
 それを見ると、宇多熊太郎は、縁側の板を踏み鳴らしながら怒った。
「ああ、あんないやなことをしやがる。あんな嫌がらせをする!」
 が、怒り得るものは幸いだった。格之介は、それを見ると、恥も見栄もなく、身体ががたがたと震え出した。
 五つの獄門台は、次々に塀に立てかけられた。真新しい材木が、古い板塀の上にまざまざと夕日の中に浮んでいる。
「ああ残念! 諸君、こんな汚らわしいものを見ていないで、障子を閉めようではござらぬか。武士たるものを、罪人同様に辱めおる。ああ、こうと知ったら、匕首《あいくち》の一本ぐらい隠しておるところであった」
 宇多熊太郎は、忌々《いまいま》しそうに舌打ちした。
 みんなは、部屋に入って、障子を閉めた。が、格之介には、障子越しに五つ並んだ獄門台がありありと見えた。
 それきり、夕食の時まで、誰も一口も口をきかなかった。
 夕食の膳が出ると、築麻市左衛門は、所化《しょけ》の僧に酒を所望した。
「各々方、今夜はお別れでござる。我々に無礼を働く鳥取藩士への面当《つらあて》に、明日は潔い最期を心掛けようではござらぬか。各々方が、平生の覚悟を拝見しとうござる」
 十二人までは、さすがに悪びれたところはなかった。杯が、しめやかに回った。
 が、格之介は、飯も咽喉《のど》へは通らなかった。一杯食った飯が、もどしそうにいつまでも胸に支《つか》えていた。
 彼はどうしても死ぬ気にはなれなかった。切羽詰まって死ぬにしても、もう一度妻の顔が見たかった。もう一度妻と――妻と最後の名残を惜しみたかった。が、妻などということを考えないでも、死そのものが、どうしても嫌だった。彼は、どうにかして死にたくなかった。まして、殺された後に、自分の首が獄門台に晒されることを考えると、どんなことをしても死を免がれたかった。もう、とっぷりと暮れてしまった障子の外の闇のかなたに、白木の獄門台が、ずらりと並んでいることを考えると、水のような寒気《さむけ》が全身を流れるのであった。
 そのあくる朝、桑名の藩士たちは銘々、覚悟を決めて床を離れた。が、起き出《い》でたものは、十三人ではなかった。格之介は、夜のうちに警護の者の目を盗んで逃亡してしまっていたのである。

          五

「臆病者! 卑怯者!」
 十二人は、口々に格之介を罵《ののし》った。が、中には、うまく逃亡した格之介に対する心のうちの羨望をそうした言葉で現しているものもあった。
 築麻市左衛門から、格之介逃亡の旨を、警護の鳥取藩士に申し出でた。さすがに、その推定された逃亡の理由まではいわなかった。敵《かたき》となっている他藩の人に対し、同藩の者を臆病者にはしたくなかったからである。
「有様《ありよう》は、関東へ下って、慶喜《よしのぶ》公の麾下《きか》に加わって、一働きいたそうとの所存と見え申す」
 市左衛門は、格之介逃亡の理由を、こう説明した。
 それをきいた鳥取藩の隊長は、苦い顔をした。
「それは近頃、心外なことじゃ。武士は敵味方に別れても相身互いじゃと存じたによって、かほどまで寛大な取扱いをいたしたのは、われらが寸志じゃに、それが各々方に分からなかったとは心外千万じゃ。いや、ようござる! 鎮撫使から預った大事な囚人を逃したとあっては、拙藩の恥辱でござるほどに、草を分けても探し出す所存でござる。各々方を信用したのが、拙者の不覚でござる」
 隊長は、かなり憤慨して、開き直った。
 市左衛門も、相手から寛大な取扱いという言葉をきくと、むっとした。武士たるものに、汚らわしい刑具を見せつけて侮辱を与えておきながら、よくもそんなしらじらしいことがいえると思った。
「ふむ! あれで寛大な取扱いと申さるるか」
 彼は、吐き出すようにいった。
「いかにも」隊長は、屹《きっ》となって答えた。「拙者の計いで、各々方に、かほど自由を与えてござるのが分からないのか。錦旗に発砲した朝敵じゃほどに、手枷《てかせ》をかけても言い分はないはずじゃ。それを立ち居も、各々方の随意にさせてある。番兵も付けず、看視もいたさないのは、なんのためじゃ。武士たる各々方が、一旦、恭順を表せられた以上、万に一つ間違いはないと思ったからじゃ。それを、盗人か何かのように、夜中ひそかに脱走する……」
「いわれな!」市左衛門は、中途で激しく遮《さえぎ》った。「それほど、われわれを武士として扱うといわるる貴殿が、あの図は何事じゃ。われわれは町人百姓ではござらぬぞ。朝廷の御処置が決ったら、いつにても首を差し伸べる覚悟はいたしてござる。それをあの指図は何事じゃ。貴殿こそ、われわれを盗人か無宿者同様に心得てござる。あれが、武士を遇する道か。あれが、武士に対する寛大の取扱いか」
 市左衛門の目は血走った。もし、彼が帯刀を許されていたならば、彼の手はきっと、その柄頭《つかがしら》を握りしめたに違いない。
 市左衛門に指さされて、鳥取藩の隊長は、墓地を越えて、板塀の方を見た。彼の目にも、黒い板塀とはっきりした対照をなしてぬっと突き出ている獄門の首台が、目に映った。それを一瞥したときに、彼は明らかに狼狽した。
「やあ! これはこれは、いかい不念じゃ。許されい、許されい」
 詫びようとする隊長を押えて、市左衛門は勝ち誇ったようにいった。
「われわれは武士でござる。あのように御親切に悟されいでも、腹を切る覚悟は、平生からいたしてござる。今日か、ただしは明日か、時刻をさえ知らして下されば、それでたくさんじゃ」
 市左衛門の憤慨を頷きながらきいていた隊長は、彼の言葉の終るのを待って態度を改めた。
「それはとんでもないお考え違いじゃ。拙者の不念から、部下のもののいたした粗相じゃ。各々方にあのような不吉なものを見せて、なんとも申しわけがござらぬ。お気に止められるな。各々方を処刑、そのような御沙汰は気もないことじゃ。いや、昨夜も本営へ参ってきいた噂によれば、桑名藩の方は、主従ともなんのお咎《とが》めもなかろうとのことじゃ。あの獄門台でござるか……」
 そういって、彼は次のように話をした。
 ちょうど、有栖川宮の先発たる橋本少将、柳原侍従が、錦旗を擁して伊勢へ入ったと同時に、近江から美濃へ入った官軍の別働隊があった。彼らは、赤報隊と称して、錦の御旗を先頭に立て、二百人に近い同勢が、鎮撫使の万里小路《までのこうじ》侍従を取り囲んでいた。彼らの多くは、陣羽織に野袴を穿いて旧式の六匁銃などを持っていたが、右の肩口には、いずれも錦の布片《きれ》を付けてい
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