外明るいものになるかも知れないから。
 俺は今日偶然、吉野辰三君に会った。高等学校では、俺より一年上で、やっぱり京都の文科に来ているんだ。吉野君と話してみると、文壇に出ようと※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いている者は、決して俺一人でないことを知って少しは安心した。吉野辰三! 以前、俺はあの人をどんなに崇拝したか分からない。明治四十年頃の「文学世界」の読者にとって、あの人の名はどんなに輝き、どんなに魅力を持っていただろう。田山花袋選の懸賞小説に幾度も投書して、成功しなかった俺は、吉野君の華やかな活躍ぶりをどんなに羨望したかわからなかった。
 が、天才とまで激賞された吉野君は、その後「文学世界」の投書をよしてから、もう何年になるかも知れないが、杳《よう》として文壇に名を現す所がない。文学志望を廃したのかといえば、そうでもない。現に文科にいて、文壇に出る機会を待っている。が、その機会はこの人に容易に与えられそうもない。話してみると、吉野君も猛烈に焦っている。が、あの人が、「僕だって、これでも新進作家といわれたことがあるんだからな」といった時には、俺は少し淋しい気がした。吉野君は、昔の夢をよほど誇張しているのだ。なんでもあの頃、「文学世界」の当選小説ばかりをあつめた短篇集が世に出たことがある。その標題に、新進作家という肩書きが付いていたように記憶する。が、投書家として栄えたことを、一かどの作家でもあったように幻想して、楽しんでいる吉野君に対して、俺は気の毒のような淋しいような気がした。しかし、俺は吉野君に会ってから、なんだか頼もしいように思い出した。少年時代に十分な才華を輝かしたあの人が、また少しも出られないでいる。それを思うと、俺は少し安心した。
 が、この大学の文科の連中は、どうしてああ揃いも揃って救われない人間ばかりが集まっているのだろう。ことに俺のクラスのやつらはひどい。広島の高師を出てきたという男は、昨日教師が黒板に書いた仏の詩人ボードレールの名を、バウデレアとドイツ読みにして、得々としていやがった。もう一人の男は中田博士の質問に答えて、「モンナ・ヴァンナ」はメーテルリンクの小説だと答えていた。俺はやつら全体を軽蔑してやる。高等学校にいた頃には、教室も寄宿舎も、すべてが文芸至上主義で一貫されていた。芸術の名によって、すべてが許された。芸術の名によって、学課や教室を無視することができた。しかるに、ここの文科の教室の空気は、極度に散文的だ。一人として芸術の話をするやつがいない。高等学校出身の人たちは、たいてい病身のために文科を選んだとか、哲学科で一年落第したために、文科へ転じたという連中だ。高師出身の者にも、入学資格があるために、彼らは学士号を得るために、丹念にノートを作っているのに過ぎないのだ。文科的に自由な清新な空気は教室のどこにも存在しなかった。こんな連中を前にして、文学がどうの、芸術がどうのといっている中田博士は、まるきり豚に真珠を撒いているようなものだ。俺は、博士が気の毒になった。

 十一月五日。
 俺は今日偶然、同じクラスの佐竹という男と話をした。俺は今までクラスのやつをすっかり軽蔑していたが、あの男だけは決して俺の軽蔑に値していないことを知った。つい俺が創作の話を持ち出すと、あの男は突然こんなことをいった。
「僕も、実は昨日百五十枚ばかりの短篇を、書き上げたのだが、どうもあまり満足した出来栄えとは思われないのだ」と、いかにも落ち着いた態度でいった。百五十枚の短篇! それだけでも俺はかなり威圧された。俺が今書きかけている戯曲「夜の脅威」は三幕物で、しかもわずかに七十枚の予定だ。しかも俺はそれはかなりの長篇と思っている。しかるに、この男は百五十枚の小説を短篇だといった上、まだこんなことをいった。
「実は今、僕は六百枚ばかりの長篇と、千五百枚ばかりの長篇とを書きかけているのだ。六百枚の方は、もう二百枚ばかりも書き上げた。いずれでき上ったら、何かの形式で発表するつもりだ」と、いうことが大きい上に、いかにも落着いている。自分の力作に十分な自信を持っていて、俺のように決して焦っていない。俺はこの男に威圧されると同時に、一種の頼もしさを感じた。京都にもこうした真摯《しんし》な作家がいるのだ。恐らくこの男の名前は、文芸雑誌などには、六号活字ででも出たことはあるまい。が、この男は黙々として長篇の創作に従事しているのだ。この男の書いたものを一行も読んでいないから、この男の創作の質については一言もいわないが、六百枚、千五百枚という量からいって、この男は何かの偉さを持っているに違いない。が、あの男はその次にこんなことをいった。
「僕は小説家の林田草人を知っている。あれは僕の国の先輩だ。今度文科へ入るについて、わざわざ上京してあの人と会ってきたのだ。快く会ってくれた上に、ばかに話がはずんでね。よく話の分かる人だよ。今度書き上げた百五十枚の小説も、実はあの人のところへ送っておくつもりだ。多分どこかへ、推薦してくれるから」
 俺は佐竹君をかなり尊敬し始めたが、これを聞くと少しこの人が気の毒に思われた。ただ同県人で一面識しかない林田草人を頼りにして、澄ましておられるこの人の呑気《のんき》さが、少し淋しかった。まったく無名の作家たる佐竹君の百五十枚の小説を、林田氏の紹介によっておいそれと引き受ける雑誌が中央の文壇にあるだろうか、また門弟でもなんでもない佐竹君のものを、林田氏が気を入れて推薦するだろうか? あの人は、投書家からいろいろな原稿を、読まされるのに飽ききっているはずだ。こんな当てにならないことを当てにして、すぐにも華々しい初舞台《デビュー》ができるように思っている佐竹君の世間見ずが、俺は少し気の毒になった。実際、本当のことをいえば、文壇でもずぼらとして有名な林田氏が、百五十枚の長篇を読んでみることさえ、考えてみれば怪しいものだ。佐竹君の考えているように、すべてがそうやすやすと運ばれて堪るものかと思った。

 十二月二十九日。
 俺は、今日東京の山野から、不快きわまる手紙を受け取った。それは、俺に挑戦し、俺を侮辱し、俺の感情をめちゃくちゃに傷つけてやろうという悪意にみちた手紙だ。文句はこうだった。
(どうだい! ばかに黙っているね。京都にも、少しは文学らしいものがあるかい。僕たちこっちにいる連中は、もう今までのように、ただぼんやり外国文学の本などを、弄《いじ》り回すことに飽いてしまったのだ。僕たちが、高等学校時代に神聖視していた「文学研究」なども、考えてみればくだらないことじゃないか。僕たちは自分で創作しなければ嘘だ。創作は黄金だ。ほかのすべては銀だ。否、それ以下の銅か鉛かだ。僕たちは、もうじっとしてはおられないのだ。高等学校時代のように、いつまでも呑気に構えられてはおられないのだ。僕たちの計画は、もうすっかり決っている。僕たちは、来年の三月から、同人雑誌を出すのだ。同人の顔ぶれは、桑田、岡本、杉野、川瀬、それに僕、このほかに僕たちより一年上の井上君、芳島君が加わる。雑誌の名は多分「×××」と付くだろう。三月の一日に初号を出す。出版元は日本橋の文耕堂だ。もう、皆は初号の原稿に忙しい。締切は一月三十日限だ。まあ刮目《かつもく》して、僕たちの活動ぶりを見てくれ給え。僕たちは本当に黎明が来たという気がする)
 おしまいまで読み終った俺は、烈しい嫉妬と憤《いきどおり》とを感ずると同時に、突き放されたような深い淋しさを、感ぜずにはおられなかった。
 この手紙のどこにも、君も同人になってはどうかとか、君も書いてはどうかというような文句は、破片さえも入っていないのだ。すべては山野の遊戯的な悪意から出た手紙だ。同人雑誌の発行を、凱旋的《トライアンファント》に報じて孤独に苦しんでいる俺を、あくまで傷つけてやろうという彼の性質《たち》の悪い悪戯だ。同人に加えない俺には、少しも必要のない初号の締切期日などを報じて、俺を苛だたしてやろうというあいつの悪意が、歴然と見え透いている。
 山野が予期していたよりも以上に、この手紙は俺を傷つけた。京都へ来てからまだ半年にもならない間に、俺と東京に残した友達との間に、早くもある間隔が作られつつあることを悲しまずにはおられなかった。同人雑誌の出版! それはどんなに華々しいことであろう。文壇に時めいている我々の先輩たる川崎も、矢部も、辻田も、初めは雑誌「×××」の同人としてその若々しい名を、文壇に認められていったのだ。山野や桑田が認められる順番も、もう決して遠き未来ではない。山野、桑田はもちろん、俺とは天分において、あまり相違はないと思われる岡本や川瀬や杉野でさえ、これでもう的確に、文壇に打って出る第一歩を踏み出しているのだ。しかるに俺は、山野が手紙の中にあれほど軽蔑した「文学研究」を唯一の本領として、独りぼっちで、捨てられているのだ。
 俺は、山野や桑田が俺を同人から除外したにしろ、俺とはかなり親交のある川瀬や杉野までがなんらの好意を示してくれなかったことを、恨まずにはおられなかった。
 俺は山野の手紙をずたずたに引き裂くと共に、絶望的な勇気を振い起した。彼らが同人雑誌で打って出るのなら、俺は単独で出て見せる。そして彼らの鼻をあかして、あっといわせてやろう。がそう決心しているうちにも、深い淋しさがひしひしと俺に迫ってきた。俺に独力で出る力があるか、俺は自分の天分を、それほどまで信ずることができるだろうか。俺が、山野や桑田などに反感を懐いて、彼らを遠ざかれば遠ざかるほど、文壇に出る機会から遠ざかっているのではあるまいか。今度でも杉野にでも泣きついて、同人に加えてもらう方が、俺にとって得策ではあるまいか。が、俺をばかにしきっている山野は、「富井などが、同人になるのなら、俺は差し控えた方が、いいかも知れない」ぐらいの毒言は必ずいうに決っている。そうなれば、かえって恥をかきに出るようなものだ。俺はやっぱり、独立してやってみよう。「夜の脅威」を書き上げたら、早速中田さんに見てもらうのだ。彼らが、同人雑誌などでもがいているうちに、俺のものは一躍して相当な文学雑誌に紹介される。俺は、それを考えていると、手紙を読んだ時に受けたむしゃくしゃ[*「むしゃくしゃ」に傍点]が、少しは癒えていくような気がした。
 そこへひょっくり吉野君が訪ねてきた。俺は、早速東京の連中が、同人雑誌を出すことを話した。俺の口調はまったく平静を欠いていた。が、吉野君は、いつものように「朝日」を悠然と吸いながら、「なに君! 同人雑誌などへは、いくら書いても仕方がないものだよ。やっぱり大きい雑誌に書かなければだめさ。まあ桑田君などに、大いにやらせてみるのだね。そうお安くは問屋で卸さないから。僕は、同人雑誌などで、騒がないで、いいものができれば、『文学世界』あたりへ持ち込むよ。昔の縁で、嫌とはいうまいから」
 俺は、吉野君が、同人雑誌を貶《けな》しつけるのをきいて、いくらか安心した。そして心のうちで山野らの「×××」が、一日も早く廃刊することを祈った。そして「×××」が、なるべく文壇から注目されないことを祈った。実際俺は、俺の全人格をもって、同人雑誌「×××」を呪っていたのだった。

 一月三十日。
 俺は、今宵初めて中田博士を自邸に訪うた。俺は感激にみちていた。が、考えてみれば、感激した俺の方がばかだったのだ。中田博士の方からいえば、ただ一人の学生の訪問を受けたのに過ぎないのだ。
 俺は、挨拶が済むとすぐ、俺の脚本を出した。
「ぜひ一つ御覧になって下さい。できはあまりよくありませんが、処女作ですから」
「なるほど」と、博士は顔の筋肉一つ動かさずにいった。そして、ちょっと二、三枚めくって見てから、「いずれ拝見しておきましょう」と、静かに付け加えた。俺が、山野らの同人雑誌に対抗するために、懸命の力を注いだ力作を、博士はなんの感激もなしに、俺の手から受け取った。俺はそれがかなり淋しかった。
「よかったら、どこかの雑誌へ」と、そんなことは、口
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