を自覚しながら、なお山野の出世を呪っているのだ。まして、自分の作品に十分の自信を持っている佐竹君が、自分の作品が活字になる前に、俺の片々たる作品が活字になったのを不快に思うのは、むしろ当然のことかも知れない。
が、俺は考えた。創作ということが、ある人々の考えているように絶対のものなら、なぜに人はただ創作するだけで満足することができないのだろう。佐竹君のごときは、六百枚の長篇を書き上げたことそのものによって、十分芸術欲を満足していなければならないはずだ。それが、どうして発表することについて、ああした苦悶があるのだろう。ことに俺などは創作というよりも、先に発表ということについてもだえている。本当の芸術欲よりも文壇的名声といったようなものにとらわれている。が、佐竹君のように長篇を書き上げている人でさえ、活字になった俺の七枚の小品を見ると、取りみだすのだから、俺が山野の作品が出ることに血眼《ちまなこ》になるのも、あるいは当然のことであるかも知れない。
五月十五日。
俺は、今日久し振りで山野の手紙を受け取った。どうせ俺を嘲笑し揶揄《やゆ》するための手紙だろうと思ったから、俺はちょっと開封
前へ
次へ
全45ページ中37ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング