も輝かない鉛か銅であることだ。
こう考えてくると、俺は堪らなく自分が嫌になる。俺は、どうして創作家になることを志したのだろうか。どうして文学を志したのだろう。それを考えると、俺はいつも、自分のばからしさに愛想が尽きる。俺が文科を選んだのは、文学者崇拝という他愛もない少年時代の感情に支配されていたに過ぎなかった。もう一つ原因はあったっけ。それは、俺は中学時代に作文が得意であったという、愚にもつかない原因だった。こんな、少年時代の出来心で選んだ生涯の道程を、今となっては是が非でも、遂行しなければならぬ羽目にいる俺を、つくづく情なく思う。
それにしても、高等学校にいた頃は、少しは自信があった。自信があったというよりも、自分の真実の天分なり境遇なりを、自分でごまかしていくことができたのだ。ことに、山野や桑田などの、燃ゆるような文壇的野心や、自惚《うぬぼれ》に近い自信が、俺にもいくらか移入されていたせいかも知れない。高等学校にいた頃、寝室で皆が一緒に枕を並べて寝る時は、文壇についての話のほかは、ほとんどなにもしなかった。ことに、川崎純一郎氏の活躍ぶりが、よく我々の話題となっていた。川崎氏は、
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