俺たちにいちばん近い目標であった。あの人の眩しいほどに燦然たる出世が、その頃の俺たちの心を、どんなにそそっただろう。桑田は、そんな話が出ると、燃ゆるような瞳をして、
「なあに! 僕たちの連中だって、今に認められるさ。誰か一人有名になれば、もうしめたものだ、そいつが、残りの者を順番に引き立てていけばいいんだ」と、桑田は、その最初に名を成す者が、自分であるような自信をもっていった。
「そうとも、文芸部で委員をしていた者は、皆文壇的に有名になっているんだ。矢部さんを見ろ! 小山さんを見ろ! 和田氏を見ろ! 近藤さんを見ろ! 皆、文芸部の先輩じゃないか。なあに、文壇なんて、案外わけのないところさ」と、天才的で傲岸《ごうがん》な山野が、桑田に相槌を打ったっけ。俺は、こうした会話をきくたびに、山野や桑田などの烈しい希望や、強い自信の一部が、俺の心にも移入されて、なんとなく頼もしく思われたと同時に、将来の文壇において、真に名を成す者は、桑田や山野などで、自分はいつまでも彼らの陰に、無名作家として葬られるのではあるまいかという不安に、とらわれずにはいなかった。すでに、あの頃にも、山野は学校中を驚かしたような、深刻な皮肉な小説を文芸部の雑誌に載せていたし、桑田は桑田で、同じ雑誌に脚本をいくつも発表していた。しかも、それは洗練された技巧と、気の利いた構想において、まったく水際立った出来栄えを示している。そして、二人とも文芸部の委員であった。山野が「文芸部の委員をしていた者は、皆文壇的に有名になっているのだ」ということは、すなわち現在委員をしている山野が、将来容易に文壇に名を成すことができると、宣言したのとまったく同じであった。
俺は、いつも山野が、自分の人格の強みを頼りとして、無用に他人を傷つけるような態度に出るのが不快だった。が、それにもかかわらず、あいつの才分を認めないわけにはいかなかった。山野でも桑田でも、確かに第一歩は踏み出しているのだ。しかるに俺は、あの頃はむろんのこと、今でも何もやっていない。その上、俺一人連中を離れて、文壇に出るのには非常に不利な京都に来てしまった。それには経済上の理由もあった。が、他の有力な原因は、俺は山野や桑田などの間にあって、彼らの秀《すぐ》れた天分から絶えず受けている不快な圧迫に、堪らなくなったためだと、いえばいわれないこともない。ことに、山野となると、意識的に俺を圧倒しようと掛っていた。あいつは、自分の秀れた素質を、自分より劣った者に比較して、そこから生ずる優越感でもって、自分の自信を培《つちか》っているという、性質《たち》の悪い男であった。そして、その比較の対象となるのは、たいていの場合、俺だったっけ。いつだったか、俺が芳田幹三の、「潮」を読んで感心していると、あいつは「なんだ!『潮』が面白い!そいつは、少し困ったなあ」と、嘲笑したっけ。あいつの嘲笑は、人を突き放したまま、そばへ寄せつけないといったような、辛辣な嘲笑だった。あいつは、俺が少しでも、甘そうなものを読んでいると、きっと前のように嫌がらせをいった。それと同時に、俺がイプセンの「ブラン」のように少し難解な物を、読んでいると、
「ほう!『ブラン』かい! 君に分かるかい!」と、いいやがった。こんな時、俺はあいつを殴りつけてやりたいと思ったが、あいつの白皙《はくせき》な額と、聡明な瞳とを見ると、ある威厳を感じて、肉体的には俺よりもよっぽど弱いあいつを、どうすることもできなかった。あいつは、桑田、俺、杉野、川瀬などの創作家志望の連中ばかりが、集っている時に、よくこんなことをいった。
「俺たちが、皆だんだん文壇的に認められていく。が、一人ぐらいはなんだか、取り残されそうだよ。皆が新進作家として、わいわい持てはやされている時に、自分一人取り残されている。ちょっと変なものだろうな。がその貧乏くじは、案外俺かも知れんて!」
彼はそういいながら、自信にみちて哄笑した。そして、俺の方を意味あり気に、ちらっと見た。俺は、かなり嫌な気持になった。同じく創作家として、出立したもののうち、その一人がいつまでも、取り残されるということは、いかにも皮肉なことで、残される当人になってみれば、まったく堪らないことに相違なかった。が、実際そうした場合は、容易にあり得ることだ。天分にいちばん自信のない俺は、そんな場合を想像することを、努めて避けようとしている。しかるに、山野は俺や俺と同様に自信の薄い杉野などを、嫌がらせるために、そんな皮肉な場合を想像して喜んでいたのだ。
唯一人、取り残される! それは考えてみても、淋しいことに相違なかった。俺は、東京にいて、山野や、桑田などと競争的になるのが、不快で堪らなくなった。彼らから間断なしに受ける、不快な圧迫から逃れるだけでも、俺にとって
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