ておいた小説は」
こうきくと、あの男は急に顔を暗くした。
「送り返してきたよ。雑誌には長すぎるからだって。片々たる短篇ばかりを載せたって、一体どうするというのだ。だから、日本にどっしりした長篇が出ないのだ」
が、俺は佐竹君の小説が、送り返されることを予期していたので、少しも驚かなかった。そして、百五十枚の長篇、しかも無名作家のものが、そう容易に紹介されて堪るものかという気がした。が、俺はこの人の旺然たる創作熱には、いつもながら、敬意を表する。いつか、あの男の部屋を訪問した時、実際あの男は、もう三百枚もあるという草稿を俺に見せた。その上、少年時代からずうっと書き溜めたという高さ三尺に近い原稿を、俺の前に積み上げた。
「百枚ぐらいのものなら、七つ八つありますよ。このうちで、一番長いのは五百枚の長篇で、俺の少年時代の初恋を取り扱ったもので、幼稚でとても発表する気にはなれませんよ。はははは」と笑ったっけ。俺は、あの人の多産に感心すると共に、その暢気《のんき》さにも感心した。発表する気にはならないといって、もし発表する気にさえなればすぐにも出版の書店でもが見つかるような、暢気なことを考えているのだ。俺はあの男のように、発表ということや、文壇に出るということについて、少しの苦労もない心理状態がかなり不思議に思われる。あの男は、ただ書いていさえすればそれで満足しておられるのかしら。
三月十五日。
雑誌「×××」の評判が、素晴らしくいい。ことに山野の「顔」の評判がいい。俺は、なるべく新聞の文芸欄を見まいとした。「×××」が評判されるのが、癪だからである。が、なんとなく「×××」の評判が気になって仕方がない。俺は、白状するが、もう三日ばかり、続けて図書館に通った。そっと「×××」の評判を読むためにである。最初にI新聞が、六号活字ではあったが、雑誌「×××」の創刊を祝福した。そして山野の「顔」を特に激賞した。が、そればかりではなかった。それから三日ばかりして、T新聞の文芸欄で、批評家H氏が山野の「顔」を激賞した。俺はそれを読んで、心の奥からこみ上げてくる嫉妬をどうすることもできなかった。とうとう、あいつに踏みにじられたと思った。俺は、この二、三年、憂慮していた運命が、もう的確に、実現するように思った。山野や桑田が文壇の花形として持てはやされ、俺が無名作家として、永久に葬られる
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