らと云って、別に貰った人達は、罪にならない。ありていに、云ったらどうだ」
越前は、長吉が金をやった相手に迷惑がかかるのを怖れてかくしているのだと思って、そう云った。
長吉は、苦笑して、
「怖れ入ります。仕事のみいり[#「みいり」に傍点]がよかったときとか、ばくち[#「ばくち」に傍点]で当りましたとき、つい身祝いの気持で、少しはバラまいたことがございます」
「それはどう云う気持でか?」
長吉は、しばらく考えていたが、
「わたくしめは、変な性分で、裕福そうなお人を見ると、つい盗んでやりたくなります。貧乏なお人を見ると、ついくれてやりたくなります。もって生れた性分で、理屈もわけもございません。のどがかわくと水がのみたくなるのと、同じでございます」
越前は、苦笑しながら、
「しかし、長吉、その方が今まで盗みとった金は、幸いいずれも十両をこえていないからよいが、もし盗みとった財布に十両はいって居れば、その命の呼《いき》はなかったぞ。それも、覚悟の前か」
長吉は、しばらく考えていたが、
「どうも仕方がございません」
と、平伏した。
「向後、盗みを止めようとは思わないか」
「思って居ります。今までも、時々思いましたが、それがどうも……」
と、云いかけているとき、長吉の吟味に当っていた佐々《さっさ》と云う与力が、
「こら、長吉、御奉行さまの直々の御調べだぞ。改心すると、ハッキリとお請けいたせ」
と、云った。この男は、備考書をつけた男で、長吉に同情していたため、長吉のありのままの返事を、とがめたのである。
「へいへい改心いたします。ふっつりと改心いたします」
と、長吉は、平伏した。
越前は、むしろ長吉の自然児らしい返事の方が気に入っていたが、しかし形の上では、こうハッキリ答えてくれないと、罰をかるくするわけには行かなかった。
「では、長吉、この度は、上《かみ》の特別な慈悲に依って、たたき[#「たたき」に傍点]と云うことにしてつかわす。その代りに、向後をつつしめよ。重ねて、罪を犯すと、重科はまぬかれぬぞ」
と、越前はやさしく云ってきかせた。
やがて、与力に依って、判決文が、よみ上げられた。
笞刑《ちけい》などは、当時は、現代の執行猶予くらいの恩典だった。
が、隠徳の相と盗心の相とは、両立するものと見え、木鼠長吉は、改心しなかった。すぐまた盗賊稼業を始めたと見え、やがて再び捕えられた。北町奉行の手に捕えられたのだが、一度南町奉行に捕えられた事のあるものは、調書や何かの関係で、北町奉行から、南町奉行所へ廻して来るしきたりである。
同心から渡された、新しい罪状書を見た大岡越前は、眉《まゆ》をひそめた。改心どころか、犯行は一倍ましになっている。
金額も、十両以上が三件もある。しかも、その内一件は、旗本屋敷へ忍び込んで、三十両はいっている主人の手文庫を盗んでいる。大名屋敷や旗本屋敷に忍び込んだものは、武家の権威を維持するためにも、重科に処せられるのである。こうなると、一度軽く処罰した責任もあるので、極刑に処する外はなかった。
昔も、人命はある程度重んじたので、死罪の者は、奉行から老中に申請して将軍の裁可を受けることになっていた。
尤も、それは形式的なもので、奉行が決定した罪の判決文の上に、将軍が朱筆で、マルをかくだけである。むかしは、将軍自身が死一等を減ずることなどがあったが、越前が就任してからは、そんな事は一度もなかった。
長吉の名は、他の七人の死刑囚と共に書き出されて、将軍の裁可を受けるために、幕府にさし出された。いつもの通り、十日ばかり経つと、返って来た。ホンの形式のために、越前はそれを聞いて見た。すると、思いがけもしないことを、その書類の上に見出した。
長吉の判決文だけには、将軍の朱筆の跡がないのである。これは、あきらかに将軍が、朱でマルをかくのを、忘れたのである。書いたつもりで、次をめくってしまったのである。将軍の不注意であることに、相違なかった。
老中が見たと云うしるし[#「しるし」に傍点]はついて居るが、将軍の朱筆はないのである。幕府に伺ったが、将軍が死罪を裁下しなかったと云う形式がととのっている。
越前は、同心ともう一度差し出すべきかどうかを相談した。しかし、もう一度差し出す事は、将軍の不注意を、とがめ立てするようにも当るのである。形式は、ととのっているのだから、死一等を減じて判決した方が、合法的なのである。
越前は、長吉の相にめでて、もう一度長吉をゆるしてやることを決心した。そして、意地にも改心させて見ようと思った。
越前は、同心達に云った。
「われわれ人間のさばきには、どうしても間違いがある。長吉の名前に、朱筆がないのは、将軍家の御失念かも知れないが、やはり人間のあやまちを正す天意かも知
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