二組《ふたくみ》に別れて、雪合戦《ゆきがっせん》をするように納豆合戦をしました。キャッキャッ言いながら、納豆を敵に投げました。そして面白い戦ごっこをしました。
 あくる朝、又私達は、学校へ行く道で、納豆売のお婆さんに逢いました。すると、吉公は、
「おい、誰か一銭持っていないか。」と言いました。私は、昨日《きのう》の納豆合戦の面白かったことを、思い出しました。私は、早速《さっそく》持っていた一銭を、吉公に渡しました。吉公は、昨日と同じようにして、一銭で二銭の納豆を騙《だま》して取りました。その日も、学校で面白い納豆合戦をやりました。

        二

 その翌日です。私達は、又学校へ行く道で、納豆売のお婆さんに逢《あ》いました。その日は、吉公《きちこう》ばかりでありません。私もつい面白くなって、一銭で二銭の苞《つと》を騙《だま》して取りました。すると、外《ほか》の友達も、
「俺《おれ》にも、一銭のをおくれ。」と、言いながら、みんな二銭の苞を、騙して取りました。お婆さんが、
「はい、有難うございます。」と、言っているうちに、お婆さんの手の中の二銭の苞は、見る間《ま》に二つ三つになってしまいました。
 そのあくる日も、そのあくる日も、私達はこのお婆さんから、二銭の苞を騙して取りました。人の良《い》いお婆さんも、家《うち》へ帰って売上げ高を、勘定《かんじょう》して見ると、お金が足りないので、私達に騙されるのに、気がついたのでしょう。そっと、交番のお巡査《まわり》さんに、言いつけたと見えます。
 お婆さんが、お巡査さんに言ったとは、夢にも知らない私達は、ある朝、お婆さんに出くわすと、いつもの吉公が、
「さあ、今日《きょう》も鉄砲丸を買わなきゃならないぞ。」と、言いながら、お婆さんの傍《そば》へ寄ると、
「おい、お婆さん、一銭のを貰うぜ。」と、言いながら、何時《いつ》ものように、二銭の苞を取ろうとしました。すると、丁度その時です。急に、グッグッという靴《くつ》の音がして、お巡査さんが、急いで馳《か》けつけて来たかと思うと、二銭の苞を握っている吉公の右の手首を、グッと握りしめました。
「おい、お前は、いくらの納豆を買ったのだ。」とお巡査さんが、怖《おそろ》しい声で聞きました。いくら餓鬼大将の吉公だといって、お巡査さんに逢っちゃ堪《たま》りません。蒼《あお》くなって、ブルブル顫《ふる》えながら、
「一銭のです、一銭のです。」と、泣き声で言いました。すると、お巡査さんは、
「太い奴《やつ》だ。これは二銭の苞じゃないか。この間中から、このお婆さんが、納豆を盗まれる盗まれると、こぼしていたが、お前達が、こんな悪戯《いたずら》をやっていたのか。さあ、交番へ来い。」と、言いながら、吉公を引きずって行こうとしました。吉公は、おいおい泣き出しました。私達も、吉公と同じ悪いことをしているのですから、みんな蒼くなって、ブルブル顫えていました。すると、吉公はお巡査さんに引きずられながら、「私一人じゃありません。みんなもしたのです。私一人じゃありません。」と言ってしまいました。するとお巡査《まわり》さんは、恐《こわ》い眼で、私達を睨《にら》みながら、
「じゃ、みんなの名前を言ってご覧。」と言いました。そう言われると、私達はもう堪らなくなって、
「わあッ。」と、一ぺんに泣き出しました。
 すると、傍《そば》にじっと立っていた納豆売のお婆さんです。私達が、一緒に泣き出す声を聞くと、急に盲目《めくら》の眼を、ショボショボさせたかと思うと、お巡査さんの方へ、手さぐりに寄りながら、
「もう、旦那《だんな》さん、勘忍《かんにん》して下さい。ホンのこの坊ちゃん達のいたずらだ。悪気《わるぎ》でしたのじゃありません。いい加減に、勘忍してあげてお呉《く》んなさい。」と、まだ眼を光らしているお巡査さんをなだめました。見ると、お婆さんは、眼に一杯涙を湛《たた》えているのです。お巡査さんは、お婆さんの言葉を聞くと、やっと吉公の手を離して、
「お婆さんが、そう言うのなら、勘弁《かんべん》してやろう。もう一度、こんなことをすると、承知をしないぞ。」と、言いながら、向うへ行ってしまいました。すると、お婆さんは、やっと安心したように、
「さあ、坊ちゃん方、はやく学校へいらっしゃい。今度から、もうこのお婆さんに、悪戯《いたずら》をなさるのではありませんよ。」と言いました。私は、お婆さんの眼の見えない顔を見ていると穴の中へでも、這入《はい》りたいような恥しさと、悪いことをしたという後悔とで、心の中《うち》が一杯になりました。
 このことがあってから、私達がぷっつりと、この悪戯を止《や》めたのは、申す迄《まで》もありません。その上、餓鬼大将の吉公さえ、前よりはよほどおとなしくなったように見えました
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