顫《ふる》えながら、
「一銭のです、一銭のです。」と、泣き声で言いました。すると、お巡査さんは、
「太い奴《やつ》だ。これは二銭の苞じゃないか。この間中から、このお婆さんが、納豆を盗まれる盗まれると、こぼしていたが、お前達が、こんな悪戯《いたずら》をやっていたのか。さあ、交番へ来い。」と、言いながら、吉公を引きずって行こうとしました。吉公は、おいおい泣き出しました。私達も、吉公と同じ悪いことをしているのですから、みんな蒼くなって、ブルブル顫えていました。すると、吉公はお巡査さんに引きずられながら、「私一人じゃありません。みんなもしたのです。私一人じゃありません。」と言ってしまいました。するとお巡査《まわり》さんは、恐《こわ》い眼で、私達を睨《にら》みながら、
「じゃ、みんなの名前を言ってご覧。」と言いました。そう言われると、私達はもう堪らなくなって、
「わあッ。」と、一ぺんに泣き出しました。
すると、傍《そば》にじっと立っていた納豆売のお婆さんです。私達が、一緒に泣き出す声を聞くと、急に盲目《めくら》の眼を、ショボショボさせたかと思うと、お巡査さんの方へ、手さぐりに寄りながら、
「もう、旦那《だんな》さん、勘忍《かんにん》して下さい。ホンのこの坊ちゃん達のいたずらだ。悪気《わるぎ》でしたのじゃありません。いい加減に、勘忍してあげてお呉《く》んなさい。」と、まだ眼を光らしているお巡査さんをなだめました。見ると、お婆さんは、眼に一杯涙を湛《たた》えているのです。お巡査さんは、お婆さんの言葉を聞くと、やっと吉公の手を離して、
「お婆さんが、そう言うのなら、勘弁《かんべん》してやろう。もう一度、こんなことをすると、承知をしないぞ。」と、言いながら、向うへ行ってしまいました。すると、お婆さんは、やっと安心したように、
「さあ、坊ちゃん方、はやく学校へいらっしゃい。今度から、もうこのお婆さんに、悪戯《いたずら》をなさるのではありませんよ。」と言いました。私は、お婆さんの眼の見えない顔を見ていると穴の中へでも、這入《はい》りたいような恥しさと、悪いことをしたという後悔とで、心の中《うち》が一杯になりました。
このことがあってから、私達がぷっつりと、この悪戯を止《や》めたのは、申す迄《まで》もありません。その上、餓鬼大将の吉公さえ、前よりはよほどおとなしくなったように見えました
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