うじ》に置き給うた。官軍がこの地に本営を置いた事は、策戦の上でどれ程有利な結果を来したか知れないのである。海陸運輸の便があり、嘗《か》つて、北条氏、足利氏等の九州征略の際にも、博多はその根拠地となった程である。薩軍にして、若《も》し早く此地を占めて居たならば、戦局は、多少異った方面に発展したに相違ない。
此役に於ける官軍の編成は、旅団が単位であるが、一個旅団は二個連隊、四個大隊であり、之に砲工兵各々一小隊が加って、総員三千余人だった。最初野津少将の第一旅団、三好少将の第二旅団、総兵四千ばかりに、熊本鎮圧、歩兵第十四運隊の凡そ二千余が加って居た。勿論これで薩軍に対抗は出来ないから、間もなく、
[#ここから3字下げ]
第三旅団 三浦少将
第四旅団 曾我少将
別働第一旅団、同第二旅団、大山少将
別働第三旅団 山田少将
[#ここで字下げ終わり]
等の編成が行われ、諸軍合せて、歩兵は五十五大隊、砲兵六大隊、工兵一大隊、騎兵及|輜重《しちょう》兵若干、それにこの戦に特別の働があった警視庁巡査の九隊、総員|凡《およ》そ五万人である。
兵器は、薩軍の多くが口装式の旧式銃であるのに対して、底装式、スナイドル銃と云うのを持って居た。兵力兵器に於て差があり、官賊の名分また如何《いかん》ともしがたいのだから、薩軍の不利は最初から明白であったが、しかし当時は西郷の威名と薩摩隼人の驍名《ぎょうめい》に戦《おのの》いていたのであるから、朝野の人心|恟々《きょうきょう》たるものであったであろう。
熊本城に於ては、司令長官谷干城少将以下兵二千、人夫千七百、決死して城を守る事になり、あらゆる準備を怠らなかった。これから有名な熊本籠城が始まるのである。二月十九日、大山県令から西郷の書を城中に致した。その文に曰く、
[#ここから1字下げ]
拙者儀今般政府へ尋問の廉《かど》有之《これあり》、明後十七日県下|登程《とうてい》、陸軍少将桐野利秋、篠原国幹及び旧兵隊の者随行致候間、其台下通行の節は、兵隊整列指揮を可被受《うけらるべく》、此段|及照会《しょうかいにおよび》候也。
明治十年二月十五日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]陸軍大将 西郷 隆盛
熊本鎮台司令長官
陸軍に於ける上官として命令しようと云うのであるから、子供だましのようなものである。
城内の樺山|資紀《すけのり》中佐は直ちに断然として斥《しりぞ》けた。二十日には別府晋介の大隊が川尻に到着して、其夜、鎮台の巡邏兵《じゅんらへい》四五十人と衝突した。これが両軍開戦の最初である。
二月十四日、乃木少佐は、小倉第十四連隊の一部隊を率いて、午前六時に折柄の風雪を冒して出発した。黒崎で昼食《ちゅうじき》したが、ここからは靴を草鞋《わらじ》に代えて強行軍を続け、真暗になった午後六時に熊本に達する事が出来た。この強行軍の一部隊の如きは、疲労の為に車馬を雇わざるを得ない程であった。乃木は更に福岡の大隊を指揮する為に、熊本を去ったが、熊本から、直ちに入城すべしと云う急電を受けるや、すぐ引返した。二十二日午前六時|南関《みなみのせき》を立って十一時高瀬で昼食したが、此時、少佐は軍医と計って、酢を暖めて足を痛めて居るものを洗わしめ、食後に酒を与えて意気を鼓舞した。午後一時|茲《ここ》を立って植木に向ったが、木葉《このは》駅に至る頃賊軍既に植木に入って居ると云う報を受けたので、十数騎を前駆させ斥候せしむるに、敵は既に大窪に退いたと云う。ここに於て、駅の西南に散兵を布いて形勢を窺う事にしたが、僅かに一個中隊の兵力であった。
日は既に暮れて、寒月が高く冴えて居る。白雪に埋った山野には、低く靄《もや》がかかって居て、遠く犬の声が聞える。淋しさと寒さとの中に斥候の報告を待って居る散兵線はにわかに附近の林中からの銃火を浴びた。乃木は我の寡兵を悟らせまいとして尽く地物に隠れさせ、発砲を禁じ、銃剣をつけさせ、満を持した。午後七時薩軍は、ふり積む白雪の上を、黒々となって吶喊《とっかん》して来た。乃木軍始めて発砲し応戦したが、薩軍の勢は次第に増し、乃木隊|頗《すこぶ》る苦戦である。将校も負傷者の銃をとって射撃し、激戦午後九時にまで及んだが、薩軍は次第に官軍を包囲する状態にまでなり、全滅の危機に臨んだので、退却を決意し、河原林少尉をして、軍旗を捲いて負わせ、兵十余人を付けて衛《まも》らしめ、火を挙げるのを合図に、全軍囲を衝いて千本桜に退却集合することを命じた。櫟木《くぬぎ》、山口の両軍曹に命じて火を挙げさせようとしたが、折あしく此夜は、微風も起たない穏かな夜なので、容易に火が挙らない。やっと火の付いたのが、九時四十分頃であった。命令一下各自血路を開いて退却千本桜に集合出来たので、乃木少佐が隊列を検閲すると、肝心の
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング