》中佐は直ちに断然として斥《しりぞ》けた。二十日には別府晋介の大隊が川尻に到着して、其夜、鎮台の巡邏兵《じゅんらへい》四五十人と衝突した。これが両軍開戦の最初である。
 二月十四日、乃木少佐は、小倉第十四連隊の一部隊を率いて、午前六時に折柄の風雪を冒して出発した。黒崎で昼食《ちゅうじき》したが、ここからは靴を草鞋《わらじ》に代えて強行軍を続け、真暗になった午後六時に熊本に達する事が出来た。この強行軍の一部隊の如きは、疲労の為に車馬を雇わざるを得ない程であった。乃木は更に福岡の大隊を指揮する為に、熊本を去ったが、熊本から、直ちに入城すべしと云う急電を受けるや、すぐ引返した。二十二日午前六時|南関《みなみのせき》を立って十一時高瀬で昼食したが、此時、少佐は軍医と計って、酢を暖めて足を痛めて居るものを洗わしめ、食後に酒を与えて意気を鼓舞した。午後一時|茲《ここ》を立って植木に向ったが、木葉《このは》駅に至る頃賊軍既に植木に入って居ると云う報を受けたので、十数騎を前駆させ斥候せしむるに、敵は既に大窪に退いたと云う。ここに於て、駅の西南に散兵を布いて形勢を窺う事にしたが、僅かに一個中隊の兵力であった。
 日は既に暮れて、寒月が高く冴えて居る。白雪に埋った山野には、低く靄《もや》がかかって居て、遠く犬の声が聞える。淋しさと寒さとの中に斥候の報告を待って居る散兵線はにわかに附近の林中からの銃火を浴びた。乃木は我の寡兵を悟らせまいとして尽く地物に隠れさせ、発砲を禁じ、銃剣をつけさせ、満を持した。午後七時薩軍は、ふり積む白雪の上を、黒々となって吶喊《とっかん》して来た。乃木軍始めて発砲し応戦したが、薩軍の勢は次第に増し、乃木隊|頗《すこぶ》る苦戦である。将校も負傷者の銃をとって射撃し、激戦午後九時にまで及んだが、薩軍は次第に官軍を包囲する状態にまでなり、全滅の危機に臨んだので、退却を決意し、河原林少尉をして、軍旗を捲いて負わせ、兵十余人を付けて衛《まも》らしめ、火を挙げるのを合図に、全軍囲を衝いて千本桜に退却集合することを命じた。櫟木《くぬぎ》、山口の両軍曹に命じて火を挙げさせようとしたが、折あしく此夜は、微風も起たない穏かな夜なので、容易に火が挙らない。やっと火の付いたのが、九時四十分頃であった。命令一下各自血路を開いて退却千本桜に集合出来たので、乃木少佐が隊列を検閲すると、肝心の
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