足は疲れねえが、ねむいよ。
嘉助 ほんとうだ。それゃみんな同じことですぜ。
喜蔵 だが、安心はならねえ。足腰の立つうちに、信州境を越してしめいていものだ。
忠次 おい、赤城山が見えるじゃねえか。
    (みんな気がつく)
浅太郎 雲がちっともねえものだから、あんなにはっきり見えていらあ。
忠次 なつかしい山だ。もうここが死場所だと思ったが、神仏の冥護とでもいうか、よく千人近い八州の捕手を斬りひらくことができたものだ。
喜蔵 親分、神仏が俺たちをかまって下さるものかねえ、みんな俺たちの腕っぷしだよ。
忠次 あはははは、それもそうか。とにかく、みんなよく働いてくれたな。改めて、礼をいうぜ。
一同 何をいわっしゃる。とんでもねえことだ。
忠次 (小笹の上に腰をおろしながら) 赤城の山も、これが見納めだな。おい、ここいらで一服しようか。
    (みんな忠次を囲って腰をおろす。子分河童の吉蔵、後を追って登場する)
吉蔵 親分、朝飯は手に入りましたぜ。下の百姓家で、折よく御飯を焚いていましたので、すっかりにぎりめしにしてもらうことにしました。
忠次 そいつはありがたい。鳥目《ちょうもく》を十分に置いてやれよ。
吉蔵 かしこまりました。
    (吉蔵かけさる)
喜蔵 飯ができるまで、ゆっくり休めるというもんだ。
    (みんなしばらく無言)
九郎助 飯が来るまで、一寝入りしようかな。
弥助 そいつはいい考えだ。
嘉助 おいらも一寝入りしようかな。
忠次 おい! ちょっと待ってくれ!
嘉助 何だ親分、改まって?
忠次 おい! みんな。
    (忠次が緊張しているので。みんな居ずまいを正す)
忠次 おい! みんな。ちょっと耳をかしてもらいてえのだが、俺《おいら》これから信州へ一人で落ちて行こうと思うのだ。お前たちを連れて行きてえのは山々だが、お役人を叩き斬って天下のお関所を破った俺たちが、お天道さまの下を十人二十人つながって歩くことは、許されねえことだ。もっとも、二、三人は一緒に行ってもらいてえとも思うのだが、今日が日まで、同じ辛苦をしたお前たちみんなの中から、汝に行け、われは来るなという区別はつけたくねえのだ。連れて行くからには一人残らず、みんな連れて行きてえのだ、別れるからには恨みっこのないように、みんな一様に別れてしまいてえのだ。さあ、ここに使い残りの金が百五十両ばかりあらあ、みんな十二両ずつくれてやって、残ったのは俺がもらっていくんだ。めいめいに当を考えて落ちてくれ! いいかずいぶん身体に気をつけて、たっしゃでいてくれ! 忠次がどこかで捕まって江戸送りにでもなったと聞いたら、線香の一本でも上げてくれ……あはははは……(喜蔵に)おいその金をみんなに分けてやれ!
喜蔵 そりゃ親分! 悪い了簡だろうぜ。一体、俺たちが妻子|眷族《けんぞく》を捨ててここまでお前さんについて来たのは何のためだと思うんだ。みんな、お前さんの身の上を気づかって、お前さんの落着く所を見届けたい一心からじゃねえか。
浅太郎 そうだとも。いくら大戸の御番所をこして、もうこれから信州までは大丈夫といったところで、お前さんばかりを手放すことは、できるものじゃねえよ。
嘉助 ほんとうだ。もっとも、こう物騒な野郎ばかりが、つながって歩けねえのは道理《ことわり》なのだから、お前さんがこいつと思う野郎を名指しておくんなせえ。何も親分子分の間で、遠慮することなんかありゃしねえ。お前さんの大事な場合だ。恨みつらみをいうようなけちな野郎は一人だってありゃしねえ。なあ! 兄弟。
多勢 そうだとも。そうだとも。
忠次 (黙っている)……。
浅太郎 なあ! あっさりと名指しをしてくんねえか。
忠次 (黙っていたが)名指しをするくらいなら、手前たちに相談はかけねえや。みんな命を捨てて働いてくれた手前たちだ。俺の口から差別はつけたくねえのだ。
九郎助 こりゃ、もっともだ。親分のいうのがもっともだ。こんなまさかの場合に、捨てておかれちゃ誰だっていい気持はしねえからな。
浅太郎 (九郎助に)手前のような人がいるから物事が面倒になるのだ。年寄は足手まといですから、親分わしゃここでお暇をいただきますと、あっさり出ちゃどうだい。
九郎助 何だと野郎、手前こそまだ年若でお役に立ちませんから、この度の御用は外さまへねがいますといって引き下がれ。
浅太郎 何だと。
忠次 おい! 浅! 手前出すぎるぞ。黙っていろ!
浅太郎 はい。はい。
    (釈迦の十蔵、ふとひざをすすめて)
十蔵 なあ、親分いいことがあらあ。
二、三人 何だ。何だ。いってみろ。
十蔵 籤《くじ》引きがいいや。みんなで、籤を引いて当ったものが親分のお伴をするんだ。
忠次 なるほどな。こいつは恨みっこがなくていいや。
嘉助 親分何をいうんだ
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング