せえませ。
才助 浅兄い頼んだぜ。
浅太郎 安心していろよ。
十蔵 喜蔵兄い頼んだぜ。
喜蔵 合点だ。親分の身体は、俺たちの、目の黒いうちは、大丈夫だ。
(口々に、呼びかわしながら、三人山上の方へとかくれる)
牛松 浅たちがついてりゃ、ていした間違いはありゃしない。
才助 親分の胸の中だって、あの三人をめざしていたに違えねえや。
十蔵 違えねえや。あいつらをつけておけば大丈夫だ。
牛松 さあ、俺これから草津の方へ落ちてやらあ。
才助 おいらも、草津だ。
十蔵 おいらも草津へ出よう。
牛松 じゃ、草津組は一緒に出かけようや。九郎助兄い! お前は、どこへ行くんだ。
九郎助 おいら、もう半刻考えよう。
牛松 思案は、早い方が勝ちだぜ。
(入れ札の紙、風にふかれて飛び立たんとす)
九郎助 ああいけねえ。こんなものが残っていると、とんだ手がかりにならねえとも限らねえ。
(九郎助拾い集めて掌中に丸める)
牛松 じゃ、稲荷の兄い、ごきげんよう。
九郎助 もう行くのか、あばよ。
十蔵 弥助兄い、ごきげんよう。
弥助 ごきげんよう。
(弥助みんな口々に、別れの言葉を交わし、四人は最初みんなが来た方へ引っ返す。後に、九郎助と弥助だけがのこる。九郎助の顔は、凄いほど、蒼い。黙然として考えている)
弥助 おい兄い! お前は、どの方角へ行くんだ。
九郎助 うるせえや、今考えているというに。
弥助 おらあ、よっぽど草津から越後へ出ようと思ったが、よく考えてみると、熊谷在に伯父がいるのだ。少しは、熊谷はあぶねえかと思うが、故郷へ帰る足溜りにはもってこいだ。それで俺武州の方へ出るつもりだが、お前はどうする気だ。
九郎助 (黙して答えず)……。
弥助 お前、よっぽど入れ札が気に入らなかったのだな。もっともだ、俺も今日の入れ札は、最初からいやだった。親分も親分だ! 餓鬼の時から、一緒に育ったお前を捨てて行くという法はねえや、浅や嘉助は、いくら腕っぷしが強くってもお前に比べれば、ほんの小僧っ子だ。また、たとい入れ札をするにしたところで、野郎たちがお前を入れねえという法はありゃしねえ。十一人の中でお前の名を書いたのは、この弥助一人だと思うと、おらああいつらの心根が全く分からねえや。
九郎助 (憤然として)この野郎、手前ほんとうに書いたのか。
弥助 書いたとも、俺よりほかにお前の名を書くやつなんかありゃしねえじゃねえか。
九郎助 ほんとうに書いたか。
弥助 書いたとも、俺よりほかに誰が書くと思う。
九郎助 手前、うそをつくと叩っ切るぞ。
弥助 論より証拠、お前の名が一枚出たじゃねえか。
九郎助 (先刻、丸めた中より忙しく一の紙片をよりだしながら)これを手前が書いたというのか。仲間の中で能筆の手前が、こんな金くぎの字を書くか。
弥助 ううむ。(狼狽する)
九郎助 これでも書いたというのか。
弥助 兄い、かんにんしてくれ。兄いわるかった! うそをついた俺を叩っ切ってくれ!
九郎助 (脇差に手をかける、が、すぐ思い返す)よそう。たった一人の味方と思う手前にだって、心の中では意気地なしと見限られている俺だ。手前を叩っ切ったって何にもなりゃしねえ。
弥助 だが不思議だな。俺が、書かないとしたら、それを誰が書いたんだろう。
(弥助紙片をみつめる。九郎助あわてて丸める)
弥助 誰が書いたんだろう。(ふと、気がつく)兄い、まさかお前が自分で書くようなけちな真似はしねえだろうな。
九郎助 なな何をいう。(ふと気が変って急に泣く)弥助かんにんしてくれ。意気地なしの卑怯者を、手前親分の代りに成敗してくれ!
(九郎助わっとすすりなく)
底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日 第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:大野晋
1999年12月2日公開
青空文庫作成ファイル:
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