嘘じゃねえぞ!」と、付け足しながら、その紙を右の手で高く上げて差し示した。
「その次ぎが又、喜蔵だ!」
喜蔵は得意げに、又紙札を高く差上げた。
「嘉助が一枚!」
第三の名前が出た。忠次は、心の中で、私《ひそか》に選んでいる三人が、入札の表に現われて来るのが、嬉しかった。乾児達が自分の心持を、察していてくれるのが嬉しかった。
「何だ! くろすけ[#「くろすけ」に傍点]。九郎助だな。九郎助が一枚!」
喜蔵は、声高く叫んだ。九郎助は、顔から火が出るように思った。生れて初めて感ずるような羞恥《しゅうち》と、不安と、悔恨とで、胸の裡《うち》が掻《か》きむしられるようだ。自分の手蹟《しゅせき》を、喜蔵が見覚えては、いはしないかと思うと、九郎助は立っても坐っても居られないような気持だった。が、喜蔵は九郎助の札には、こだわっていなかった。
「浅が三枚だ! その次は、喜蔵が三枚だ!」
喜蔵は大声に叫びつづけた。札が次ぎ次ぎに読み上げられて、喜蔵の手にたった一枚残ったとき、浅が四枚で、喜蔵が四枚だった。嘉助と九郎助とが、各自一枚ずつだった。
九郎助は、心の裡で懸命に弥助の札が出るのを待っていた。弥助の札が出ないことはないと思っていた。もう一枚さえ出れば、自分が、三人の中に入るのだと思っていた。
が、最後の札は、彼の切《せつ》ない期待を裏切って、嘉助に投ぜられた札だった。
「さあ! みんな聞いてくれ! 浅と喜蔵とが四枚だ。嘉助が二枚だ。九郎助が一枚だ。疑わしいと思う奴は、自分で調べて見るといいや」喜蔵は最後の決定を伝えながら、一座を見廻した。
誰も調べて見ようとはしなかった。誰よりも先に、九郎助はホッと安心した。
忠次は自分の思い通りの人間に、札が落ちたのを見ると満足して、切り株から、立ち上った。
「じゃ、みんな腑《ふ》に落ちたんだな。それじゃ、浅と喜蔵と嘉助とを連れて行こう。九郎助は、一枚入っているから連れて行きたいが、最初《はな》云った言葉を変改《へんがい》することは出来ねえから、勘弁しな。さあ、先刻《さっき》からえろう[#「えろう」に傍点]手間を取った。じゃ、みんな金を分けて銘々に志すところへ行ってくれ」
乾児の者は、忠次が出してあった裡から、銘々に十二両ずつを分けて取った。
「じゃ、俺達は一足先に行くぜ」忠次は選まれた三人を、麾《さしまね》くと、みんなに最後の会釈をしながら、頂上の方へぐんぐんと上りかけた。
「親分、御機嫌《ごきげん》よう。御機嫌よう」
去って行く忠次の後から、乾児達は口々に呼びかけた。
忠次は、振り向きながら、時々、被《かぶ》っている菅笠《すげがさ》を取って振った。その長身の身体は、山の中腹を掩《おお》うている小松林の中に、暫《しばら》くの間は見え隠れしていた。
取り残された乾児達の顔には、それぞれ失望の影があった。
「浅達が付いていりゃ、大した間違はありゃしねい!」
口々に同じようなことを云った。が、やっぱり、銘々自分が入れ札に洩《も》れた淋《さび》しさを持っていた。
が、忠次達の姿が見えなくなると、四五人は諦《あきら》めたように、草津の方へ落ちて行った。
九郎助は、忠次と別れるとき、目礼したままじっと考えていた。落選した失望よりも、自分の浅ましさが、ヒシヒシ骨身に徹《こた》えた。札が、二三人に蒐《あつ》まっているところを見ると、みんな親分の為を計って、浅や喜蔵に入れたのだ。親分の心を汲《く》んで、浅や喜蔵を選んだのだ。そう思うと、自分の名をかいた卑しさが、愈々《いよいよ》堪《た》えられなかった。
朝の微風が吹いて来て、入れ札の紙が、熊笹《くまざさ》を離れて、ひらひらと飛びそうになった。
「ああ、こんなものが残っていると、とんだ手がかりにならねえとも限らねえ」
そう云いながら、九郎助は立ち上って散《ちら》ばっている紙片を取り蒐めると、めちゃめちゃに引き断《ちぎ》って投げ捨てた。九郎助の顔は、凄《すご》いほどに蒼《あお》かった。
「俺《おらあ》、秩父《ちちぶ》の方へ落ちようかな」
九郎助は独言《ひとりごと》のように云った。彼は仲間の誰とも顔を合しているのが厭だった。秩父に遠縁の者が居るのを幸に、其処《そこ》で百姓にでもなってしまいたかった。
彼は、草津へ行った連中とは、反対に榛名《はるな》の西南の麓《ふもと》を目ざして、ぐんぐん山を降りかけた。
彼が、二三町も来たときだった。後から声をかけるものがあった。
「おい阿兄《あにい》! 稲荷《いなり》の阿兄!」
彼は、立ち止って振り顧《かえ》った。見ると、弥助が、息を切らしながら、追いかけて来たのであった。彼は弥助の顔を見たときに、烈《はげ》しい憎悪《ぞうお》が、胸の裡に湧《わ》いた。大切な場合に自分を裏切っていながらまだ身の振方をでも相
前へ
次へ
全6ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング