「宗清のお内儀じゃ」という)
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千寿 (駭《おどろ》いて駆け寄りながら)なに! 宗清のお内儀! (ふと気が付いたように、藤十郎の方を振り返る)……。
藤十郎 (千寿の振り返った目を避くるように、目をそらしている)……。
弥五七 いかにも宗清のお内儀じゃ。短刀で胸の下をたった一突きじゃ。
四郎五郎 今ここで話して行かれたのに、瞬く間の最期じゃ。藤十郎様、御覧なされませ、いかな子細かは分かりませぬが、女子には希な見事な最期じゃ。
藤十郎 (引き付けられたように、歩み寄りながら、じっと死顔に見入る。言葉なし)……。
若太夫 (息せきながら、駆け込んで来る)何事じゃ。何事じゃ。なに女の自害! やあ宗清のお内儀じゃ。いかな子細かも知らぬが、なにも万太夫座の楽屋で、自害せいでもよいのを。
千寿 ほんに、楽屋に死にに来ないでも。(ふと、藤十郎の顔を見て黙る)……。
弥五七 こんな不吉なことが、世間に知れると、せっかく湧き立った狂言の人気に、傷が付かぬものでもない。
若太夫 ほんにそれが心配じゃ。皆様、他言は無用にして下されませ。
藤十郎 (黙って死骸を見詰めていたが、急に気を変えて)なんの心配なことがあるものか。藤十郎の芸の人気が女子一人の命などで傷つけられてよいものか。(千寿の手を取りながら)さあ、千寿どの舞台じゃ。
千寿 (真実の女のごとくやさしく)あいのう。
藤十郎 (つかつかと舞台の上へ急いだが、また引返して死体を一目見、ついに思い決したるごとく、退場す。同時に幕の開く拍子木の音が聞えて静かに幕が下る)
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[#地から1字上げ]――幕――



底本:「菊池寛 短篇と戯曲」文芸春秋
   1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:野口英司
1999年1月1日公開
2005年10月17日修正
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