教えを乞うてみると、自分で工夫が肝心じゃと、いわしゃれた。さあ、幕の開く前に、もう一度稽古に付き合うてたもらぬか。
源次 おお安いことじゃ。何度でも付き合おう。藤十郎どのに、工夫を尋ねるといつも、強《きつ》い小言じゃ。みんな自分で工夫せいとはあの方の決まり文句じゃ。
四郎五郎 おお一昨年のことじゃ、山下京右衛門が、江戸へ下る暇《いとま》乞いに藤十郎どのの所へ来て、わがみも其許《そこもと》を万事手本にしたゆえに、芸道もずんと上達しましたといわれると、藤十郎どのはいつものように、ちょっと顔を顰《しか》められたかと思うと、「人の真似をする者は、その真似るものよりは必定劣るものじゃ。そなたも、自分の工夫を専一にいたされよ」とにこりともせずに真っ向からじゃ。あの折の京右衛門どののてれまき方を、思い出すと今でも可笑《おか》しくなるのじゃ。
源次 藤十郎どのから、お小言を食わぬ前に、もう一工夫してみよう。
四郎五郎 (急に芝居の身振りをなし)これさ、どっこいやらぬ。本妻の悋気《りんき》と饂飩《うどん》に胡椒《こしょう》はおさだまり、なんとも存ぜぬ。紫色はおろか、身中《みうち》が、かば茶色になるとても、君ゆえならば厭わぬ。
源次 (応じて芝居の身振りをしながら)どうなりとさしゃんせ。こちゃおさん様にいうほどに。あれおさん様、おさん様。
四郎五郎 (やはり身振りを続けながら)やれやかましいその外おさんわにの口、口のついでに口々。(急に役者に立ち返りながら)どうもここのところが、うまく行かぬのじゃ。
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(芝居茶屋の花車女に案内され、若き町娘下手の入口より入って来る)
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花車女 おお源次さま。ちょうどよいところじゃ、それそれこの間ちょっとお耳に入れた東洞院《とうのとういん》の近江屋のお嬢様でござりまする。
源次 (四郎五郎に、気兼ねをしながら)もう、幕が開《あ》きますほどに、またして下さりませ。
花車女 ほんに情けないことを、いわれますのう。せっかく楽屋まで、来られましたのに、ちょっと言葉なりと交して下さりませ。
源次 (もじもじしながら、娘に対して)ほんに、ようお出でなさりました。
町娘 (同じく恥じらいながら、黙って頭を下げる)
花車女 さあちょっと私の茶屋まで、入らせられませい。ほんのちょっ
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