声は、地獄の亡者《もうじゃ》の笑い声のようにしわがれた空《から》っぽな、気味の悪い声であった。
        ×
 弥生《やよい》朔日《ついたち》から、万太夫座では愈々《いよいよ》近松門左が書き下しの狂言の蓋《ふた》が開かれた。藤十郎の茂右衛門と切波千寿のおさんとの密夫《みそかお》の狂言は、恐ろしきまで真に迫って、洛中《らくちゅう》洛外の評判かまびすしく、正月から打ち続けて勝ち誇っていた山下座の中村七三郎の評判も、月の前の螢火《ほたるび》のように、見る影もなく消されてしまった。
 が、この興行の評判に連れて、京童《きょうわらべ》の口にこうした※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話《そうわ》が伝えられた。それは、『藤十郎殿は、この度の狂言の工夫には、ある茶屋の女房に偽って恋をしかけ、女が靡《なび》いて灯を吹き消す時、急いで逃《のが》れたとの事じゃが、さすがは三国一の名人の心掛だけある』と云う噂《うわさ》であった。
『偽にもせよ、藤十郎殿から恋をしかけられた女房も、三国一の果報者じゃ』と、艶《なま》めいた京の女達は、こう云い添えた。
 こうした噂までが
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