ために、疲れ果てて、蒲団に寝かされた後も、苦しそうに肩で息をしている若者を、僕は、猟人がちょうど自分の射落した獲物でも見るような目付で、しばらくはじっと見つめていたのでした。僕の尋問の綾《あや》に、うまく引っかかって、案外容易に、自白してしまった若者に、憫《あわれ》みを感じながら、しかも相手の浅はかさを、蔑《さげす》むような心持さえ動いていたのです。
そのときに、警部が僕に近づいて来て、若者にはきこえないような低声で、
『ちょっとおいで下さい、解剖をやっています』と囁《ささや》きました。
僕は、それをきくと、女の死体のある元の四畳半に帰って行ったのです。さすがに、女の死体は、蒲団の上に、真っすぐに寝かされていました。よれよれに垢じみた綿ネルらしい寝衣を、剥ぎ取られた姿は、前よりももっとみじめな浅ましいものでした。胸のあたりの蒼い瘠せた皮膚には、人間の皮膚らしい弾力が少しも残っていないのです。露わに見えている肋骨や、とげとげしい腕の関節などが、この女の十年の悲惨な生活をまざまざと示しているのでした。また、その身体の下半部に纏《まと》っている腰巻が、一目見た者が思わず顔を背けねばならないほど、ひどいものでした。それは、ネルでしたが、地の桃色が褪せてしまって、ところどころに白い斑《まだら》ができて、それが灰色に汚れているのです。よく、注意して見ると、それは普通の婦人がするように、ネルの上に白木綿を継ぎ足してあるのですが、その白木綿が、鼠色に黒くなっているところへ、迸《ほとばし》った血がかかったため、白木綿のところまでが、ネルの部分と同じように、汚れた桃色に見えていたのです。
女は、見る見るうちに、喉の傷口を剖《あば》かれ、胸から腹部へと、次々に剖《あば》かれて行くのでした。警察医は、鶏の料理をでもするように、馴れ切った冷静な手付きで、肺や心臓や胃腸など一通《ひととお》り見た上で、女に肺尖《はいせん》カタルの痕跡があるといいました。
僕は、死体の解剖を見ているうちに、自分の気持が鉛のように重苦しくなって来るのを感じたのです。女の栄養不良の瘠せ果てた身体は、彼女の過去の苦惨な生活を、何よりも力強く、僕の胸に投げつけるのです。十年もの間、もがいた末に、なおこうした地獄の境目を脱すべき曙光を見出し得ない彼女が、自殺を計るということは、当然過ぎるほど、当然なことのように思
前へ
次へ
全16ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング