し不良ね。」と、アッサリ肯定した。
「君は、正直だからいいね。」
「そこなんか、つまり素敵なんさ。正直でうぬぼれが強くって、だから失恋なんかしたことないの。」
「失恋なんかしたことないって、第一恋愛したことあるのかい。」
「無いわ、でも、すぐあるかもしれないわ。」
「美和子ちゃんの好きなタイプの男って、どんな人?」
「例えば……」そう云いかけて、たちまち頬を赤くしたかと思うと、匂うほど、女になってしまうのだった。
美沢は、美和子と話していると、自分の心が楽しく弾み上って来るのを感ぜずにはいられなかった。
彼は、美和子を女らしく感じた途端、脚をひっこめて、たばこに火をつけた。
「あたしにも一本……」そういって、美和子は、美沢のさし出したチェリイの箱から、一本とり出して、可愛い手付で火をつけると、
「ねえ。活動《シネマ》に行かない?」と、促した。
「こんな真昼に、暑いじゃないか。」
「冷房装置のある所へ行けば、ここよりは、よっぽど涼しいわ。」
美沢は、苦笑しながら、
「美和子ちゃん、僕も不良だぜ。あんまり、くっついていると、こわいぜ。」
「どうするの?」
「さあ! 何をするか……」
「美沢さんなんか、こわくないわ。新子姉さんに、甘いところ、さんざん見ているんだもの。そんなおどかしきかないわ。ねえ、シネマへ行きましょうよ。」
六
時には、妖婦《ヴァンプ》のように色っぽく、時には天真爛漫の子供のように無邪気な美和子を、美沢は持ち扱いながら、結局……妖婦《ヴァンプ》らしいところには、眼をつむって、愛らしい少女らしいところだけを、見ておればいいのだと思った。
新子の妹として、映画へ連れて行ってもいいだろうし、こうして無駄口を利いていることも、新子を偲《しの》ぶよすがにもなるだろうと思った。
しかし、彼の官能が、新子などにはとても見られないような、美和子の新鮮さに刺戟され、楽しまされていることは事実であった。
もう、一しょに出かけることになって、母親の帰りを待つ間に、美沢は美和子から、洋服を着せられてしまった。
弟を連れて、親類の家に行っていた母が帰って来ると、美沢は美和子に母を紹介したが、その紹介が結局帰りがけの挨拶のようになって、美和子は美沢と連れ立って、弥生町の坂を逢初橋《あいそめばし》の方へ降りて行った。
ここからは、浅草が一番近いので、二人は予定通り、大勝館へ行くことにして、円タクに乗った。
大勝館で、美和子は「ズー・イン・ブダペスト」はお終いまで、神妙に見たが「ジェニイの一生」になると、中途まで見て、
「ねえ、出ましょうよ。」と、いった。
美沢は、見ても見なくてもよかったし、美和子はのん[#「のん」に傍点]気に見えても、帰りを急いでいるかもしれないと思って、だまっていわれるままに、外へ出た。
「面白かったわ。『ジェニイの一生』なんていうの、いや。あれを中途まで見ている内に、散歩のプランが浮んだから、出てしまったのよ。」六区の雑沓《ざっとう》の中へ出ると、すぐ美和子がいった。
「まだ散歩するの。」
「だって、これからすぐ帰っても暑いわ。」
「どんなプラン?」
「私に委せて下さらなきゃいや、貴君のお家の近くで蜜豆を喰べるのだけれど、その前にちょっと散歩したいの。」
時計は、まだ八時を少し過ぎたばかりであるし、美和子の子供っぽい願いを、無下に斥けるのも何となくいじらしく思われたし、
「うん。」と、いってしまった。
うんと聞くと、美和子はもう、小走りに松竹座の前の大通りに出て、そこにいる「空車」の一つを、三十銭に値切ってしまった。
車へ乗ってから、美沢は訊いた。
「どこへ行くの。」
「訊いちゃいや。出来たら、眼をつむっていて……」
「僕を誘拐するの。」
「女ギャングよ。」そういって、小さい右手をピストルの恰好にして、美沢の横腹にさし当てた。
「くすぐったいよ。」美沢は、その手を握っておしのけた。
七
自動車は、美和子に命ぜられていたと見え、公園裏のコンクリートの大道を、入谷から寛永寺坂にかかって、上野公園の木立の闇を縫い、動物園の前で止まった。
「どう、ここから池の端へ降りて、不忍《しのばず》の池の橋を渡って、医科大学の裏の静かな道を一高の前へ出て、あすこで梅月の蜜豆を喰べて、追分のところで、別れるの。少し長いけれど、いい散歩《プロムネード》コースじゃなくって、さっき活動を見てから考えたの。」
美和子は真面目にしているのかふざけているのか分らないが、とにかくこのコースは、いかにも恋人同士が選びそうな人目の薄い散歩道である。こんな所を歩きたがるとすれば、女として彼女を警戒する必要がある。そう、美沢が思った途端、水銀のように変化の早い彼女はもうそれと悟って、美沢の警戒を柔らげるように、たちまち子供らしく無邪気に振舞うのであった。
「私、動物園とても好きよ。だから、今の活動もとても見たかったの。ほんとうに、今日は楽しかったわ。私、お友達がみんな避暑に行っているから、とてもつまんないの。新子姉さんはいないし、圭子姉さんは、芝居に夢中だし……」
「しかし、美和子ちゃんは不良だね。ここから、弥生町へ抜ける道を知っているし、四谷に住んでいて、梅月の蜜豆なんかたびたび喰べに来るのかい?」
「だってえ、そりゃ西片町にお友達があったのよ、それから桜木町にも仲よしがいたんだもの。だから、この道は随分歩いたのよ。」
「だって、西片町から桜木町なら、逢初橋へ出た方が近いじゃないか。」
「そら、用事のときはあっちを歩いたわよ。散歩のときは別よ。散歩って近道することじゃないでしょう。」
二人は、そんな無駄口を利きながら、清水堂の下の石敷の小径を歩いていた。
そこらあたりは、樹の茂みで闇が濃く、一人の人にも会わなかった。
「貴君は、不良だなんて云ったけれども、善良な紳士ね。」と、美和子は云った。
「なぜさ……?」
「なぜでも、それに臆病ね。」
「何を生意気な、子供のくせに……」
「皆、私を子供と云うわ。でも、私もう子供じゃないわよ。何でも分っているのよ。」
彼女はちょっと立ち止まって、
「ねえ。美沢さんも、新子姉ちゃんがいないで、寂しいでしょう。だから、私ちょっと慰問に来て上げたのよ。ほんとうはそうなのよ。」
「何を下らんことを!」
美沢は、本気に少し腹が立って来たので、美和子を振り捨てるように、足早に歩き出した。
八
美沢が、足早に歩き出すと、美和子はすかさず、追いかけて、
「ねえ。」と、改めて彼の腕に縋《すが》りながら、
「私、美沢さんに初めてお会いしたの、去年の三月よ。」
美沢が、だまっていると、いよいよ美沢の胸に首をすり寄せながら、
「貴君、覚えていない?」
「覚えているよ。麹町の家でだろう。お茶を出して、すぐ逃げてしまったじゃないか。それから二、三度会ったけれど、いつも居るなと思う瞬間にパッと逃げて行ったりなんかして、ふざけたお嬢さんだと思っていたよ。」
「どうして、逃げたか知っている?」
「そんなこと知るもんか。」
「貴君に顔を見られるのが、とてもきまりが悪かったからよ。その頃から、私貴君に顔を見られると変だったのよ。」
組んでいる腕と腕との間が、しとしと汗ばんで、美和子の言葉を聞いていると、彼女の軽い腕が、千鈞《せんきん》の重みを持って来る。
「ねえ。」美和子は、また立ち止った。
「何だい。」
「貴君が欲しいと云えば、私あげるものがあるのよ。」
「ええ。」
思わず、その顔を見ると、その暗い闇の中で、美和子は眼をつむって、桜んぼの堅さを思わせるような型のよい愛らしい唇を、心持上へさし出して……。
美沢は、身体の中で、何かが砕けて行くような気がするのを、グッとこらえながら……これは処女ではないのだろう。
(もしそれならちょっとだけホンのちょっとだけ。花の匂いを嗅ぐだけなら)そうした意慾が、チョロチョロ燃えた。
「度胸がないのねえ。」
木の実のような赤い唇が、チラチラ白い歯をこぼして……。その言葉で、美沢は、鞭打たれたように、いきなり抱き寄せると、一瞬天も地もなかった。二人は、闇にとけたように……。
「厭《いや》。厭。そんなのいや。」
いきなり、美和子は美沢を突き退《の》けると、三、四間先へ走った。
夢見心地を、つきのけられたのが、思いがけなかったので、息を弾ませながら、追いついた。
石燈籠が、ずらりと両側に並んで、池の端から、下谷の花柳界の賑《にぎわ》いの灯が、樹間《このま》に美しく眺められた。
「ただ、お友達の印だけの、かるい接吻《ベーゼ》がほしかったのに……まるで、恋人同士みたいなこと、するんだもの、あんなのいや。」
近寄ると、美和子の顔が、頼りなげな、泣き出しそうな感じである。
一擒一縦《いっきんいっしょう》! 子供と油断したが、これは天性の娼婦《コケット》である。
(しまった!)と、美沢は刹那に感じた。
[#改ページ]
突風来
一
祥子《さちこ》は、綴方《つづりかた》や童謡などを好んで、即興的につくるのに、小太郎は面倒くさがり屋で、数学や理科が好きで、国語ことに綴方など、大嫌いという性質であった。
だから、夏季休暇中の宿題となっている綴方はもちろん、一日一日の日記帳の小欄に、たとえば(町でも屈指の財産家となる)とか(まことにもっともな話である)などという断片的な文章を用いて作る短文などは、一から十まで新子にまかせたきりである。そして、自分では何もしようとしないので、昨日《きのう》小太郎がパパに連れられて、国境平の奥の方に放牧の牛を見に行ったのを機会に今日の午後までに、宿題の一つである(夏休みの一日)という綴方を作っておくように、指切りげんまん[#「げんまん」に傍点]までして約束した。
小太郎は、二時の授業時に、笑いながら、半截《はんせつ》の用紙に、それでもやっと一枚と二行くらい書いて来て、新子にさし出した。
[#ここから1字下げ]
お父さまが、「牛を見に行こう」と、おっしゃったので、僕は洋服をきかえたり、サンドウィッチを作ったり水筒に紅茶を入れてもらったりして、仕度をした。軽便を降りて牧場まで歩いて行くと、暑くて、苦しかった。日向《ひなた》の草原に、牛が寝たり、立ったりしていた。牛の子もいた。お父さまが、「牛についていってごらん」と、おっしゃったので、僕は「四足獣、草食獣、複数の胃で、はんすうする」と、いった。
するとお父さまがニコニコした。
[#ここで字下げ終わり]
よく見ていると、仕度という字を、一度平仮名でしたく[#「したく」に傍点]と書いてから、消して、仕度と直してあった。
この字は、四、五日前に、新子が支度の方が正しいと、教えたばかりであったので、彼女は、微笑を浮べながら、しかしややきびしい調子で、
「たいへん、お上手だけれども、一字小太郎さんらしくもない間違いをしていらっしゃるわ。ね、仕度は、支度の方が正しいと、この間云ったでしょう。」と、新子は鉛筆で、白い紙の端に支度とかいてみせた。
いつも、素直な小太郎であるが、嫌いな綴方を、やっと自分で作ったのに対し、とやかく云われたことが、すぐかん[#「かん」に傍点]に触ったらしく妙に意固地になり、てれくさくなったらしく、
「僕、それよく分らなかったから、平仮名で書いておいたの、そしたら、ママが本字を教えてくれたんだもの。それでも、いいんだよ。」と、子供らしく、喰ってかかって来た。
「ええ、普通によく仕度とかいてありますけれど、それは間違いなんですよ。やっぱり支度と書かなけりゃ。」
「だって、僕が間違ったんじゃないや、僕は平仮名で書いておいたんだもの。ママが悪いんだ、ママに怒って来る!」と、云うと小太郎は早くも立ち上って、(アッ!)と云う間もなく、飛鳥のように部屋を飛び出した。
二
「小太郎さん、お待ちなさい!」と、新子はあわてて、後から部屋を出て、呼び止めたが、小太郎は綴方《つづりかた》の紙
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